淡々として偉大なこと。
09年09月15日
No.1289
昨夜、私はひとりで密かに興奮していた。イチローが9年連続200本ヒットという偉業を達成したからである。もちろんすべてのマスコミがこのことで賑わっていたのだから、私が興奮していても様にはならないだろう(笑)。それにしてもイチローという男は、“ゾッとする”ことを平気で達成する男である。ある番組で、誰かがイチローのことを“淡々として偉大なことやる男”と評していた。実にそのとおりだ。
中学生時代、私は野球部に入っていた。野球は好きだったが、万年補欠であった。高校野球は好きだ。夏の甲子園の時はできるだけテレビ観戦をしている。しかし、プロ野球はほとんど観ることはなかったし、いまも観ない。だからイチローのことはそんなに前から知らなかった。メジャーリーグに行ってからも、そんなに注目していた訳ではなかった。イチローという選手に関心を持ち出したのは、数年前からに過ぎない。俄(にわ)かファンの一人である。
イチローという選手は、知れば知るほど魅力的である。こういう人物はそんなにいる訳じゃない。私は一端(いっぱし)の相撲ファンのつもりである。栃若時代から相撲のことなら人並み以上に知っているつもりだ。大鵬・北の湖など歴史的な横綱をみてきた。しかし、イチローにはそれを超える感動がある。どちらも史上初の記録を樹立した横綱だが、ワールドワイドと相撲界の違いなのだろうか!?…(笑)。
政権交代という偉業は達成された。しかし、その後あまり“ゾッとする”ことがない。政権交代という偉業を成し遂げたのは、やはり民衆だったのである。イチローのような政治家がいた訳じゃないのだ。いろいろな政治家が取り沙汰されているが、“淡々として偉大なことを成し遂げる”政治家がなかなか現れてこない。ひょっとするとこれから“淡々として偉大なことを成し遂げる政治家”が出るのかもしれない。そういう政治家が現れたら惜しみないエールを送りたいと思っている今日このごろである。
それでは、また。