ジーンズ考
07年02月12日
No.334
昨年8月私が健康生活の実践を始めたとき、体重は83キロあった。かなりあった背広は部屋に収納できるだけに整理した。当時私はほとんど背広を着る必要がない自堕落な生活をしていた。だからよく判らないのだが、残した背広のほとんどは多分着ることが出来なかったと思う。昨年の1月私の姉が72歳で急死した。葬儀に駆けつけるために喪服を着ようとしのだが簡単に着れないのだ。辛うじて着れたのが夏用の喪服だった。大雪の新潟県津南町で行われた姉の葬儀に、私は夏用の喪服を着て駆けつけた。
カジュアルのズボンもほとんど入らなかった。けっこうカジュアルのズボンはあったが、ほとんどはゴルフをするときに着たものだった。70キロまで減量していちばん嬉しかったのは、持っている背広やカジュアルのズボンが全部着れるようになったことである。70キロまで体重が落ちたのは11月のはじめである。いくら着れるようになったとはいえ、夏用ではちょっとおかしくなった。残念なことに持っていたカジュアルものはほとんどが夏用のものであった。思い出せば夏しかゴルフはほとんどやらなかった。
カジュアルのズボンを全部整理したところ、ほとんどが夏用で秋冬用はほんの数着しかなかった。わずかな秋冬用のズボンの2着がジーンズ(以下、ジーンズという)であった。これは2001年の夏アメリカに行ったときに買ったものだが、これまで着る機会はなかった。秋も過ぎてちょっと寒くなったころから、私はこのジーンズをはいている。というより冬物のカジュアルのズボンはそれ以外にたった1着あるだけなのだ。これはちょっと改まったときにはいていくようにしている。
ジーンズをはくようになって、ジーンズをはく人がこんなに多くいることに初めて気が付いた。私が行動している渋谷近辺では、カジュアルの人の3人に1人はジーンズといってもいいくらいだ。それも男性だけではない。女性もかなりジーンズをはいている。いつ頃からこうなったのか私は知らないが、これはもうジーンズ・ブームといっても良いのではないだろうか。私たちが若いときもジーンズをはく者はけっこういた。私も学生時代にジーンズをひとつもっていた。いつ頃からはいて、どのくらい持っていたかもう定かな記憶はない。ただ寮の風呂場でたわしでゴシゴシ擦って洗濯したのだけは憶えている。ジーンズに関する私の記憶はそれ以外にはない。
最近のジーンズは生地もデザインもさまざまである。わざわざ破れて膝が見えるようしている物まで売っている。クラシックのジーンズをそこまでするには、何年間もはき込まなければそうはならない。私たちの若いときには、そんなものは売っていなかった。そして毎日はいていても簡単にはそうはならなかった。ジーンズは本当に丈夫この上ない。そこがジーンズの優れたところであった。着古したためにそうなることはあったかもしれないが、私たちの時代にも粋な若者はわざわざ破ったりしたのだろうか。少なくとも私はそんなことをした記憶がない。
私が持っている2着のジーンズのズボンとジャケットはクラシックのものだ。これを破るつもりはない。そうするといったい何年くらいはいていると流行のようなズボンになるのだろうか。毎日ジーンズをはくわけではないので、間違いなく私が70歳くらいにならないとそうはならないような気がする。この数ヶ月はいただけなので、私のジーンズはまだ新品であった。この前昔とった杵づかで洗濯をした。風呂からあがった後、ジーンズを浴槽に投げ込んでおいた。翌朝見たら浴槽の水は相当に汚れていた。見た目は汚れていないようでもかなり汚れていたのだ。たわしに洗剤をつけて思い切りこすった。すすぎは浴槽の中でやった。1回くらいの洗濯では、そう簡単に“年季”は出なかった。
もうひとつジーンズに関する悩みがある。いま持っているジーンズが2着とも5センチほど長いのである。いまのところ折り返してはいているが、これを裾詰めするかどうかという問題なのである。ジーンズをはいている人をみると、裾をどうしているか観るのだが、私のように折り返している人はほとんどいない。皆さんちょうどいいものを買ったか、裾詰めをしたかのどちらかなのだろう。折り返しが洒落ているとは思わないが、わざわざ裾詰めなどしないで“そのまんま”にするのがジーンズのジーンズたるところなのではないかという気もして、決断しかねているのである(笑)。
それでは、また明日。