絆…。
09年08月16日
No.1259
いま郷里の新潟県十日町市にいる。お盆の13日に帰省することができなかったので、昨日十日町に来た。午後にお墓掃除をした。これまでは兄がそういうことをやってくれていたのだが、いまは病気療養中で埼玉県久喜市にいる。白川家の元気な男は私だけなので、これだけは何としてもやらなければならないと思っていたのだ。
8月13日には来れなかったので、実家の近くに住む従兄弟にとりあえずの掃除を頼んでおいた。しかし、白川家の子孫として最後のお墓掃除は私が行った。父も母もきっと喜んでくれたと思う。私は祖父も祖母も覚えていない。祖父は私の生まれる前に他界していた。祖母は私が3歳の頃に他界したのだが、祖母のことは何ひとつ憶えていない。しかし、祖母が亡くなった時、祖母を棺桶に入れてはならないと泣き叫んだことだけは覚えている。その時に背負っていてくれたお手伝いさんのことはいまでも鮮明に記憶している。人間の記憶というのは可笑しなものだ(笑)。
その祖父母にも、父と母がいた。江戸時代の生まれだ。曾祖父は、白川家に生まれたが、曾祖母がどこの家に生まれたのか私は知らない。私の父は知っていた筈だし、その家に行って可愛がってもらったと思うが、今は昔のことである。私には9人の姉兄がいる。すでに二人の姉は他界した。3人の姉が新潟県に居住しているので、昨夜はこの姉たちと墓参し、夕食を共にした。3人ともすでに80歳を超えている。しかし、皆元気だ。姉弟といっても20歳以上も離れているので普通の姉弟とは少し違うが、同じ家で生活したことには変わりない。思い出で話は尽きなかった。
今日は叔母の亭主の33回忌法要に出席する。私の母にも7~8人の兄弟がいたが、この叔母を除いて皆他界し、彼女が、私の母の兄弟姉妹で唯一人存命である。これまで十日町市に来た時、私はできるだけ顔を出すようにしていた。この叔母からいろいろな話を聞き、私は母の実像を知りたかったのだ。姉妹の間には子供である私も知らない思い出がある。それを聞かせてもらいたのだ。今日は母方の従兄弟たちとも会える。選挙で迷惑をかけてしまった人が多い。そんな話も出るであろう。
人はこの世に生れ、多くの人々の交わりながらその生を全うする。人はひとりでは生きられない。その中で親子・兄弟姉妹・従兄弟(従姉妹)の関係などはやはり重い。他の人間関係が契約や利害や偶然の切欠で生ずるのに対し、親族の関係は生まれながらに生じるものだからである。変えたいと思っても変えることはできない。だから煩わしいと思うこともある。しかし、人間関係を上手く作ることの難しさに比べれば、有難いといえばありがたい関係である。折角ある絆は大切にした方が良い。
それでは、また。