俗悪な政治番組(その4)
07年02月05日
No.327
先々週の日曜日(2007年1月21日)は、日曜定番の政治4番組を評論するためにあえて観た。そしてその評論を「俗悪な政治番組(その2および3」(永田町徒然草No.313および315)として掲載した。毎週あえて政治4番組を評論する必要もないし、もう評論するに値しない番組になってしまったので、特別のことがない限り政治4番組について書くつもりはない。しかし、昨日(2月4日)の田原総一朗の『サンデープロジェクト』はひどかった。書かない訳にはゆかない。
まず番組が取り上げたテーマは、久間防衛大臣の「イラク戦争は間違いだった」発言についてであった。私は久間防衛大臣のイラク戦争は間違いだった発言についてあまり興味がないので、どのような場でどのように発言したのか正確には知らない。また調べる気にもならない。なぜならば政治的には何の意味のない発言だからである。これに対してアメリカ筋から文句があったことは知っていた。この問題を取り上げることは、それ自体がおかしいというつもりはない。問題なのはその取り上げ方と報道の姿勢である。
この問題について、石破前防衛庁長官と森本敏拓殖大学教授を出演させて番組を作っているところにある。一義的には久間防衛大臣をこの番組に出演させるのが筋であろう。そしてそのような発言をした政治的意図を報道するところに意味がある。多分これには久間防衛大臣が応じなかったのであろう。だとしたら、この発言をテーマとして取り上げることは政治的にはほとんど意味がない。極論すれば少しボケた老人のたわ言の類なのだから。
しかし、アメリカ筋は収まらないらしい。そこでこの発言が良いのか悪いのかを石破氏と森本氏に論評してもらおうという意図があったのだろうが、そうだとしたら論者の選定に問題がある。イラク戦争の是非を議論しようというのならば、石破氏はイラクに自衛隊を派遣した際の防衛庁長官である。当事者そのものだ。イラク戦争が間違いだったなどという筈がない。イラク戦争は正しかったというに決まっている。そして三白眼というんだろうか、例の独特の表情でさも最もらしく自説をのたまわっていた。
森本氏も同じような発言をしていた。防衛問題というとこの人がやたらと出てくるが、この人の政治スタンスはその経歴からいっても100%体制側の人物である。体制側ということは、昨今ではアメリカ側と同義語でもある。田原氏とテレビ朝日は、こんな人物を出演させて一体何を報道したかったのか、その意図が分らない。イラク戦争の是非を論じたいというのならば、堂々とこのことを論じられる人を出して議論させればいいではないか。少なくともこの二人だけに論じさせるのは間違っている。前からいっている放送法の視点がまったく欠落している。久間発言の是非を問題にするというのならば、久間氏本人を出演させるのでなければほとんど意味がない。こんな意味のない番組を30分もやっていた。
昨日は、NHKでも『サンプロ』でも与野党の政策責任者で討論させていた。これはこれで良い。少なくとも石破氏と森本氏の番組などやらずにたっぷり1時間これをやっていてくれたらこの文章を書くこともなかったであろう。それにしても政策責任者の討論の司会をした田原氏の仕切りがひどかった。田原氏はいったい自分を何様だと思っているのだろうか。日本の政治を動かす力があると思っているか、それとも動かす責任があると考えているのだろうか。率直にいうが田原氏には、そのどちらもない。そう錯覚している裸の王様でしかない。そのことが醜いし、哀れでもある。
野党はいつまでも審議拒否をしている訳にゆかないだろうから、党首会談をやりなさいと田原氏は盛んにけしかけていた。審議拒否をするかどうかは野党が自分の浮沈を賭けてやっている政治マターである。柳澤大臣を辞めさせるかどうかも安倍首相が自らの浮沈を賭けた政治マターなのだ。その仕切りをすることが報道番組でない。双方の言い分を伝えるのが報道というものである。田原氏は自分も分らなくなったようだが、報道番組とは何ぞやということも分らなくなってしまった。「田原総一朗の激論トーク」は、わが国の俗悪な政治番組の代表となってしまった。田原総一朗の晩節を汚している。
それでは、また。