これからが大事なのだ。
14年06月28日
No.1680
集団的自衛権の行使容認騒動 第一幕は、間もなく終わりだという。正直言って、あまり面白い舞台ではなかった。自民党と公明党のエース級として、それぞれの役者が選ばれたのであろうが、高村副総裁も北側副代表も、大根役者に過ぎなかった。そして、トンデモない猿芝居だったことが、西日本新聞によって暴露された。これを他のマスコミが後追いしていれば、とっくに頓挫していたのだが……。
自衛権行使『新3要件』 公明が原案
――自民案装い、落としどころ集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定は、19日に行われた安倍晋三首相と公明党の山口那津男代表の党首会談で最終局面に入った。
解釈改憲の核心は、自民党の高村正彦副総裁が提案した自衛権行使の「新3要件案」だ。特に「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある」という集団的自衛権行使に絡む文言をめぐり、自公間で調整が続く。
だが、実はその原案は、公明党の北側一雄副代表が内閣法制局に作らせ、高村氏に渡したものだった。解釈改憲に反対する公明党が、事実上、新3要件案の「下書き」を用意したのだ。
「私が考える新3要件というものの、たたき台を作ってみました」
13日の安全保障法制整備に関する第6回与党協議会で高村氏が突如A4サイズの紙を配った。「集団的自衛権の行使はできない」と結論付けた1972年の政府見解の一部を引用し、行使を認める逆の結論を導き出す私案だった。「この紙を見たのは初めてだ」。協議会後に北側氏は明言した。だが、事実は違う。
政府関係者によると、その数日前に公明党執行部がひそかに集合。解釈改憲で対立する首相と山口氏の「落としどころ」を探るためだった。連立維持を優先させ、解釈改憲を受け入れる政治決断の場でもあった。
山口氏が「憲法解釈の一番のベースになっている」と尊重してきた72年見解を援用する形で、限定容認と読み取れる原案を内閣法制局に作成させる。北側氏がそれを指示していた。原案に自公協議の焦点となる「恐れ」があったかどうかは分からない。しかし、自民党関係者は言い切る。
「新3要件は自公の『合作』だ」
自民党と公明党の集団的自衛権の行使に関する与党協議など、最初からデキレースだったのだ。自公連立に最初から反対し、これは自民党と日本の政治を根底からダメにすると指摘してきた私には、与党協議が所詮マヤカシに過ぎないことなどは、まさに“想定の範囲内”(永田町徒然草No.1679参照)のことだった。こんなことを平気でやるのが、自公“合体”政権なのである。しかし、それがバレてしまった。お粗末である。秘密保護法が政党に適用されれば、彼らは極刑で裁かれるであろう(笑)。
さて、本日の主題は、「集団的自衛権騒動の本当の見どころはこれからだ」ということなのである。TBSの朝のニュースは、「自民党の村上誠一郎代議士は、総務会で徹底的に反対する意向である」と伝えていた。村上代議士は、かつては私の弟分であった。昭和61年11月18日に提出した“スパイ防止法に反対する意見書”の、提出者の一人であった。村上代議士がどのような発言をするのか、他に賛同者がいるのか、じっくりと見たいと思っている。
安倍首相とその仲間は、7月1日に新しい憲法解釈を閣議決定するというが、その時の安倍首相と山口公明党代表が記者会見でどのような発言をするのか、これも見ものだ。引用した記事など使って、記者会見に臨む新聞記者がどのように突っ込むのかも見ものだ。そういった突っ込みが全くないようだったら、わが国のマスコミも中国や北朝鮮と同じレベルだということになる。
さらに見ておかなければならないのは、発表された集団的自衛権に関する新しい政府解釈について、各政党がどのような発言をするかということだ。政党としてまとまった見解が出せるのは、共産党と社民党だけかもしれない。生活の党の小沢氏は、果たしてどういうのだろうか。民主党の海江田代表は? 次世代の党を作るという石原慎太郎氏は、“美しい日本語”でどう語ってくれるのだろうか。もう一方の橋下代表は? etc etc ...
政党だけではない。今回の問題について統一した見解を出せるのは、ほんの僅かであろう。そうすると、すべての国会議員の発言を聴かなければならなくなる。憲法の三大原則に関することだから、いい加減な発言では済まされない。すべての国会議員は答える義務があるし、その答弁によって、その政治家の将来が決まることになる。マスコミは、それを明らかにする義務がある。なぜならば、次の国政選挙の最大の関心事が、今回の問題に対する各候補者の言動だからである。
政府見解が決まったら、閉会中であっても国会審議をするという。衆参で各1日だけだってさ。バカにするなと言いたい。安倍首相も自民党も公明党も、完全に舞い上がっている。舞い上がっている政治家というのは、危険なのだ。なぜならば、舞い上がっていては世の中が見えないからである。舞い上がった安倍首相とその仲間は、いま自分たちが墓穴を掘っていることに気が付かないのだろうか。
最後に、国民も見られるのだ。今回の集団的自衛権の問題に国民がどのように対応したかを、自民党も政府も各政党も、そして諸外国もじっと見ているのだ。そのようにして、現実の政治が決まっていくのだ。そうして決まって行く政治に、泣くのも笑うのも国民なのだ。政治のすべてのプレーヤーの言動は、ずべて因果応報なのだ。悲観も楽観も無用。国民は、いまこそ覚醒しなければならない。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。