政治家の決断とは…。
14年06月26日
No.1679
最近では、“想定内”とか“織り込み済み”といった表現は珍しくない。株式市場や為替相場では、ごく日常的に使われている。政治報道ニュースでも、最近はよく使われるようになった。投資家や市場関係者が、どういう場合に“想定内・想定の範囲内”というのか私は知らないが、政治報道ニュースで、政治記者や政治コメンテーターが「そんなことは想定内のことですよ」などというのを聞くと、知ったかぶりをするなと言いたくなる。
政党や政治家がある決断をする場合、世人には理解できないような苦悩や葛藤がある。ひとつの決断が、政党や政治家の存在そのものを抹殺・否定することが、ままあるからである。憲法に関する決断などは、まさにそういう場合だ。自民党の中でも、集団的自衛権の行使容認に関しては、いろいろな意見がある筈だ。公明党の中では、もっと様々な意見があるのだろう。
この半年間、私はまた、森田実氏のサイトを見るようになった。かつて私が自公連立反対の先頭に立って闘っていた時、森田氏は私の行動の理解者であった。ところが、かなり前から、森田氏は創価学会や公明党をサポートする発言をしている。森田氏がどうしてそのような発言をするようになったのか、私の理解の範囲外である。だからといって、私は森田氏を批判したり非難するつもりはない。私は自由主義者であるからだ。そして私は、森田氏の人間性を信じている。
集団的自衛権の行使容認問題が出てきてから、森田氏は一貫して正しい論陣を張っている。そして、創価学会と公明党に対しては、平和の党として道を誤るなと厳しい注文を付けている。今月に入ってからは、自民党と一緒になって集団的自衛権の行使を認めるようならば、決然と連立離脱せよと叱咤している。森田氏の言は実に説得力があり、心からの叫びなのである。
森田氏と創価学会・公明党との関係がどのようなものなのか、また森田氏の影響力がどのくらいあるのか、私には知る由もないし、知ろうとも思わない。しかし、森田氏の論陣は真剣そのものである。創価学会や公明党が森田氏の諌めを蔑ろにしたら、その反動が大きなものとなることだけは間違いない。森田氏には、いまなお政治評論の世界において大きな信用と影響力があるからである。
閣議決定案に異論相次ぐ=集団的自衛権、週内合意は困難―公明
集団的自衛権行使の憲法解釈見直しをめぐり、公明党は25日、衆院議員会館で関係部会の合同会議を開き、閣議決定原案の修正案について議論した。出席者からは自民党と大筋合意した修正内容に異論が続出、容認する意見は広がらなかった。会合後、与党協議会座長代理を務める北側一雄副代表は、自民党との週内の正式合意は困難との認識を記者団に示した。
合同会議では北側氏が、自民党から提示された修正案の内容を説明。原案で「自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」とした行使要件の「おそれ」が、「明白な危険」に修正されたことなどから、行使に一定の歯止めがかかったとして理解を求めた。
これに対し、複数の出席者から「『明白な危険』では曖昧だ」といった異論のほか、行使の対象国を「わが国と密接な関係にある他国」と修正した部分について「同盟国に限定すべきだ」と米国に限るよう求める意見も出された。受け入れを認める声は少なかったという。
【時事通信 6月25日(水)12時36分配信 】
6月25日のNHKの『ニュース9』では、集団的自衛権に関するニュースは一切なかった。テレビ朝日の『報道ステーション』では、「結局は、報道されているような内容で閣議決定されるんでしょうね」という論調であった。TBSの『ニュース23』では、引用したような状況が詳しく報道され、岸井氏は「言われているような方向で進められては絶対にダメだ」と、厳しい口調で批判していた。
公明党内でいろいろな論議が行われているのは、事実なのであろう。公明党の中でそのような論議が起こっていることに、森田氏の最近の切々たる訴えが影響しているのは疑いない、と私は思っている。少なくとも、私の永田町徒然草の論説が影響を与えていないことだけは確かである(笑)。私と創価学会・公明党の間には、深い溝があるからだ。
最後になるが、公明党の動きは逐一報道されているのに、他の政党や政治家の動きや言い分は、一体どうだというのだ。自民党が他の政党に協議を申し入れていないのであるから、ネグレクトしても良いのだろうが、他の政党や政治家の集団的自衛権の行使についての考えを報道することは、マスコミの任務であろう。番組の作り方を工夫すれば、そんなことはいくらでもできる筈なのだが…。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。