天声人語 or 人語天声
08年04月29日
No.789
『朝日新聞』の「天声人語」は、かつて東京大学の入試問題に出たことがあったというので、高校生のときから気になったコラムであった。「天声人語」の出典は知らないが、私は最近マスコミの基本は「天声人語」ではなく、「人語天声」なのではないかという気がしてはならない。
その理由は、マスコミにとって大切なことは人の言を伝えることであって、天の声を伝えることではない。自分だけが天の声を聴けるというのは、思い上がりなのではないか。それは政治家についてもいえる。政治家だけが天の声を代弁できるというのは、思い上がりである。実生活の中で人々が愚直に語ることに謙虚に耳を傾け、その中に天の声を見出す能力が政治家には求められるのである。
このことは、永田町徒然草No.775「なぜガソリン報道が少ないのか!?」で述べた。昨日の永田町徒然草No.787「最悪の酷い政治番組!?」で述べたことは、少し極端すぎたような気がしたので、いつも相談している友人に感想を訊いてみた。友人も日曜日のテレビをみながら同じような気がしたといっていた。この友人はきわめて常識的に世の中をみる目をもっており、私が尊敬している友人である。「確かにガソリンに関する報道がこのところ少なかったよね」ともいっていた。
No.775「なぜガソリン報道が少ないのか!?」で述べたように、「春闘は掛け声と異なり、賃金はほとんど上がらなかった。その中で政治的原因でガソリンの価格が下がった。万事において苦しい地方の人々にとって、ガソリン価格の下落によって支出を免れた金額はかなり大きい。人によっては、諸物価の上昇分くらいが吸収できるくらいの額である。この事実をどのように受け止めているのか。自公“合体”政権が再可決すれば元の木阿弥だ。そのことをどう考えているのか。国民の生の声は、重要な政治的事実である」。
昨晩のニュースが伝えているようにすでに買い貯めが始まっているのである。皆んな必死なのだ。しかし、私にいわせれば“今からではちょっと早すぎるのである”。ベストでいちばん確実なのは、2008年4月30日の午後11頃に満タンにすることである。たぶん5月1日に即日値上げというガソリンスタンドは、意外に少ないのではないかと私は思っている。ただし不確実なので、損をしたからといっても賠償はできないので、注意されたい(笑)。こういう混乱が起きないように施行期日にもっと配慮をすべきだと私はいっているのである。
自動車ユーザーに過重な負担は疑問
X氏は、道路特定財源問題について「自動車関係諸税を現状のまま維持し、使途だけが一般財源化されるなら税負担の公平性から多くの疑問を感じる」と強調した。
道路財源については与野党とも一般財源化の方針を打ち出しており、高い暫定税率が維持されたまま、一般財源になる可能性もある。
X氏は「一般財源は本来、国民が公平に負担すべきであり自動車ユーザーだけに過重な負担を強いるのは疑問」と述べた。
また、道路特定財源は「受益と負担」を原則に課税してきただけに、「その考え方を変えるなら、自動車やガソリンに対する課税や税率の根拠も変わるはず」とし、特定財源の見直しが行われるなら「自動車関係諸税についても根本から見直すことが必要」と訴えた。
そのうえで、この問題については「Y会としては、納税者が納得し得る方向に徹底して取り組みたい」と語った。
“いま”のクルマにレスポンスというWebサイトに掲載された記事の引用である。X氏とは日本自動車工業会の張富士夫会長である。Y会とは、もちろん日本自動車工業会のことである。きわめて短いが、道路特定財源の一般財源化の問題点を見事に指摘している声明である。これを大企業の経営者の言と受け止めてはならない。自動車メーカーは、自動車を買う消費者にいちばん接触している。仕事柄、自動車所有者の生の声を直接聴かざるを得ないのである。だからこれは国民の生の声なのだ。頭の中で考えた屁理屈ではない。実際の経済活動の中から出たステートメントだから真実を穿っているのだ。
張会長の声明などを含め実社会の生の声(人語)などを多数取材し、そこに共通することが天の声(国民のコンセンサス)なのである。だから「人語天声」がマスコミの姿勢でなければならないと私は思うのである。自分たちの意に沿った政治家や評論家を登場させ、世論を誘導しようというのは傲慢であり、僭越である。ジャーナリズムの原点は、その逆である。ジャーナリストや新聞記者には、ジョン・リードの「世界を揺るがした10日間」を一読することをお勧めする。ここにはジャーナリズムの原点がある。歴史が動くとき、人々は精彩を放ち、社会は迫力に満ちる。
それでは、また。