報道の核心は事実(fact)
07年05月02日
No.413
昨日、かつて親しく付き合っていた新聞記者数人と久々に会った。私より20歳くらい若い人たちである。現在、取材現場のある程度の責任者として頑張っている記者たちである。まさに政治の現場を直接見聞きしている人たちである。もちろん最大の目的は旧交を温めるところにあったので、政治全般について談論風発する会となった。実に楽しい会であった。私も久々に呑んだ。もつべきものは、志の高い誇りのある人士である。
皆が一致して確認しあったことは、報道は事実(fact)を重視しなければならないということであった。彼らは現場で事実(fact)を集めることに全精力を使っている。彼らから聴いた現在の事実(fact)は、面白かった。流石は私が優秀と認めていた政治部記者たちであった。わが国の政治的事実(fact)は、悲観する必要もないが楽観できる状態でもないということであった。政治の劣化ということは、ほぼ共通した認識であった。私がこの永田町徒然草で述べていることは、お愛想もあろうがそんなに“頓珍漢なことではない”といってくれたことも嬉しかった。
そして最後にいったことが面白かった。二世・三世政治家たちのいちばんの問題点は、彼らが生身の人間と真剣に付き合い、そしてその人たちを組織するという政治家にとっていちばん困難なしかし意味あることをしなくても“政治家になれた”ところにあると私はいった。要するに生身の人間が好きでないと政治家はつとまらないし、大成もしないことをいいたかったのだ。そうしたらある新聞記者がこういった。「最近二世・三世新聞記者という訳ではないのですが、人間と付き合うのがあまり好きでない新聞記者というのがいるんですね。生身の人間と付き合うことが苦手な新聞記者にとって、新聞記者という仕事は楽しいのかと思うんですがねぇ」 私は思わず苦笑した。
しこたま酔って帰宅した。テレビのスイッチを入れるとNHKで憲法制定過程を報道していた。確か4月27日(?)に放映された“NHKスペシャル”である。観たいと思っていたが友人との徹マンで観れなかった番組である。だいたいは私の知っていることであったが、映像や生の声で当時のことを知ると感慨を新たにするものがあった。憲法制定過程の事実(fact)を丹念に積み上げていた。流石はNHKである。このような番組を一生懸命作っていればNHKは大丈夫なのである。要するに質の高い、良い番組を作ることなのだ。視聴料を法律で義務化しようが、いい加減な番組を作っていたのでは所詮NHKはもたなくなるのである。
『月刊マスコミ市民』5月号が送られてきていた。5月号のタイトルは「改憲派が目論む自衛軍の想定像」である。近日中にこのWebサイトでもupdateされる。私としては、かなり考えた上で書いた小論である。憲法改正の是非を一般論やステレオタイプに語ることに一石を投じたいと考えてこのような小論にしたのだ。『月刊マスコミ市民』の憲法改正問題講座も7回目となる。明日は憲法記念日である。これまでのものを読んでいない方はぜひお読みいただきたい。きっとなにがしかの参考になると確信している。
それでは、また明日。