馬脚を現す安倍首相
07年01月31日
No.322
昨1月30日も衆参本会議で、代表質問が行われていた。昨日も忙しかったので、ほんの一部を見ただけだが安倍首相の答弁には大きな問題があった。参議院本会議で民主党の輿石東参議院議員会長の質問に対する答弁である。輿石氏は「安倍首相は憲法改正を参議院選挙で国民に問いたいといっているが、憲法のどの部分が問題だと考えているのか」と質問した。至極当然のことである。
これに対する安倍首相の答弁がふるっていた。憲法の問題点として「憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的な枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていること」と答弁したのである。これは所信表明演説の文章をそっくり引き写したものだ。引き写しそのものは問題はないが、憲法のどこが問題かと訊いているのに、「憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的な枠組みの多く」だという答えはないであろう。大学入試ならば、多分ゼロ点であろう。
要するに、安倍首相には憲法に対する定見などないのだ。お爺ちゃんがいった自主憲法制定=憲法改正をアプリオリに正しいと信じ、それを受け売りしているだけなのだ。見た目は若いしスマートだが、着古しの羽織袴を着て自主憲法の制定を叫んでいた壮士然とした右翼反動政治家と頭の中身は同じなのだ。だから最近「着古しの羽織袴を着て自主憲法制定を叫んでいた壮士然とした右翼反動政治家」と同じ類の人種が元気付いているのだ。彼らは自分たちの同類が総理大臣になって嬉しくて仕方がないのだろう。安倍内閣の支持率が落ちている原因の大きなひとつが、ここにあると私は思っている。
正確を期そうと思い、今日の新聞をみたがこの部分に関する記事はなかった。こういうところを捉えて、安倍首相の問題点を明らかにするのがジャーナリズムの仕事だと私は思うのだがどうだろうか。昔ならば憲法の問題ならば、一字一句、「てにをは」までが厳しいマスコミの批判に晒されたものだ。それだけに憲法問題を話すときはお互いに慎重だった。憲法とはそのくらい大切なものなのだ。憲法をいい加減に扱う政府は、どこの国でも最後は国民を不幸にするものである。憲法をいい加減に扱う政府に寛大な国民は、最後は必ず泣きをみるのである。わが国もそういう国になりつつあるようだ。心しなければならない。
それでは、また。