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辻々に警備服の警察官が…

08年07月04日

No.859

いま東京の街を歩いていると、ちょっと歩くと警備服スタイルの警察官が至る所で見える。洞爺湖サミットの警備だという。いったい何を阻止しようという警備なのだろうか。サミットに来日する外国首脳の身の安全を確保しようというのか。それならば、東京でこんなに厳しい警備をすることは誰が考えても意味もない。北海道の警備は来日する外国の首脳の身の安全を確保するためだということは理解できる。しかし、それにしても度外れた警備らしい。洞爺湖サミットなど勘弁して欲しいという声が出始めているという。

自公“合体”政権の秩序に対する概念が私は一向に理解できない。特に治安維持を直接担当する警察当局の考え方が私には理解できない。社会の秩序維持は、政治の最も基本的役割である。従って、秩序維持に対する考え方・パフォーマンスをみると政権の政治に関する基本的な問題点が浮かび上がってくる。私が職務質問にこだわるのも、そのような考え方からである。警察に対する敵意があるからではない。いや、私は警察が治安維持のためにその役割を十分に果たすことを願っているのだ。

自公“合体”政権や警察当局の秩序に対する基本的な誤りは、秩序維持に関心をもっているのは国家だけであるという思い上がった考えである。国民など秩序維持に関心をもっていないという考えである。自由主義社会においては、秩序維持は国民にとっても重大な関心事なのだ。秩序が維持されている自由主義社会においてこそ、国民ははじめて自由な活動ができる。自由な活動を通じて国民は“幸福追求すること”ができるのだ。

人類初の自由主義憲法といわれるフランス憲法第4条は次のように定めている。すなわち、「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。」

ここに秩序を考察する場合の基本的な考え方がある。秩序維持に責任を負う国家――特に警察当局が行わなければならないことは、「社会の他の構成員にこれらと同一の権利(注:基本的人権のこと)の享受を確保すること」を妨害することを阻止することである。それが秩序維持の本来的な目的なのだ。何が“他人の基本的人権を妨害する行為”であるかは、価値観が多様な社会では議論が生じるが、刑法典に規定されている犯罪類型がその典型である。それにまで疑問を呈すると議論は収拾が付かなくなるので、今日はこのことを前提に議論を進める。

国家公安委員長を務めていた時に、私が警察当局にいちばん強く訴えたのは犯罪の摘発と犯罪者の逮捕であった。犯罪防止には、地道であるがこれ以外の途はないと私は考える。いまでもこの考えに変わりはない。犯罪の捜査には、特別なノウハウと努力が必要である。また国民の協力がなければ、犯罪の捜査などその目的を達成することはできない。私は“はぐれ刑事純情派”の安浦刑事のような警察官を大切にしなければならないことをよく訓示でいった。

閑話休題。いま東京で行われいる警備はいったい何を目的にしているのだろうか。外国の首脳をテロから守るというのは理解できる。人の命を守ることは、外国の首脳であろうが誰であろうが重要なことである。外国の首脳が東京に立ち寄るのかどうか私は知らないが、それならば東京に立ち寄ることをしないように外国に要請すればよいのではないか。今回の東京の異常な警備は、およそテロといわれる犯罪をわが国で起こさせないを狙っているように思えてならない。

テロが起きない国家であることは大切なことである。しかし、サミット開催中にテロが起きないことをなぜそんなに重視するのか。日本はテロがない国ということをアピールしたいのだろうか。そんなことは自公“合体”政権や警察当局の見栄でしかないのではないか。テロリストは、テロのプロである。警備服で身を固めた警察官を辻々に立たせたくらいでこれを阻止できるほど柔なものではない。テロの防止には、テロ対策の専門家が必要なのだ

9.11同時多発テロに対してアメリカは、軍事力の行使とプレゼンスで対抗しようとした。それは果たして成功したのだろうか。わが国のテロ対策をみているとこれと同じようなことをしているような気がしてならない。テロ阻止に対する表層的警備を強化したところで、その隘路を潜り抜けてテロを決行するのが本格的なテロ集団なのだ。わが国の警備当局はこのことを理解しているのだろうか。分かった上であまり意味のないことをやっているのか。そうだとしたら、その目的は何なのかと疑いなくなる

自公“合体”政権と警察当局は、効果があろうがなかろうが強大かつ重層な警備体制を国民に対して示したいのであろう。今回のような警備に政府は予算などケチらない。だから目一杯の警備体制を行おうとする。これを無駄遣いなどという不謹慎な者はいない。私もお金のことを一次的に問題にしているのではない。警備や秩序維持に対する彼らの考え方を問題にしているのだ。秩序維持は国家の関心事だけではないのだ。国民にとっても重要な関心事なのだ。国民にとっては、権力がどのように行動をするのかも秩序の重要な要素なのだ。今回のようなことを通じて強引な権力行使が是認されていく。私はそのことを憂いているのだ。

それでは、また。

  • 08年07月04日 01時17分AM 掲載
  • 分類: 5.憲法問題

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