解題――憲法改正問題講座
06年12月05日
No.268
憲法改正問題講座②を掲載した『月刊マスコミ市民』が発売され、これをすぐにupdateした。本来ならば雑誌に掲載したものを即Webサイトに掲載することは信義に悖(もと)ることなのである。なぜならばそれを許すとその雑誌が売れなくなるからである。しかし、今回はそうすることを承知してもらって上で、私は執筆依頼を受けたのである。だからすぐにWebサイトに掲載できるのだ。しかし、いま出版業界は苦しいのだ。Webサイトで私の拙稿を読んでも、私の主張を載ってくれる『月刊マスコミ市民』を応援する意味でこれを購読してもらえるならばこれにすぐる喜びはない。
従って最低でも12回にわたり憲法改正問題講座を書くつもりだが、その基本的スタンスをこの際理解してもらいたいと思う。私は憲法講義をするつもりはない。それは憲法学者の役割だと思っている。私が論じたいのは、憲法改正がなぜ長い間政治の世界でいわれたきたかという点である。憲法改正問題は、すぐれて政治的な問題であった。純粋な法律論では決してなかった。自民党という政党に身を置く者にとって、「憲法改正がなぜ必要なんですか」と素直に主張することが命懸けのことなのである。憲法改正を主張する人々の政治的な背景や理由を一番知る数少ない者のひとりだと、私だと思っている。
彼らはなぜ憲法改正をなぜ声高に叫ぶのか、彼らが憲法を改正することにより何を達成したいのかということを明らかにすることは私の責務と思っている。憲法改正によって、彼らが何を否定し何を実現しようとしているのか、それを明らかにすることは法律論ではなく政治論なのだ。だから「憲法講座」ではなく、「憲法改正問題講座」としたのだ。昭和憲法により、いかなる政治的状況が生まれたか、それをどう評価するかによって憲法に対する政治的スタンスは異ってくる。憲法改正を唱える人々の政治的スタンスや意図を解明しなければ、憲法改正の是非を判断することができないであろう。憲法改正問題の視座や論点はここにある。そういう観点から私の拙稿を読んでいただきたい。
それでは、また。