昭和憲法、66歳…。
13年05月03日
No.1569
今日は、憲法記念日。日本国憲法(以下、昭和憲法という)が施行されて、満66年となる。わが国の現代史を回顧するとき、昭和憲法の施行は、わが国の政治の流れを大きく変えた。もちろん、GHQの占領下にあったために、昭和憲法の理想はいろいろと制約されたが、それでも、昭和憲法は日本国民に支持されて、政治のみならず、わが国の社会全体に力強く定着していった。そして、わが国は大きく変わった。これが、憲法というもののなせる業である。
昭和憲法が希求するものを現在の政治用語で表現すれば、“リベラルそのもの”である。もちろん、昭和憲法にもいろいろな問題はある。それを承知した上で、昭和憲法がわが国の憲法として厳然と存在している以上、私は、昭和憲法を心から尊重するものである。さらにいえば、私の信条は“南無”昭和憲法である。すなわち、私は「昭和憲法に帰依する」者なのである。
私は、憲法の勉強を通じてリベラリストになった。現実の社会の中でリベラリストとして行動しようとすると、世の人々から“リベラル派”と呼ばれるようになる。リベラル派が闘わなければならないのは、まず、非自由主義的なものである。しかし、リベラル派は、自由主義的といわれるものとも闘わなければならない。自由主義体制の社会では、古典的自由主義が現実の社会を支配しており、自由主義を生き延びるためには、自由主義そのものを進化させる闘いが必要だからである。
自民党の中で、私はリベラル派として活動した。数は少なかったが、信頼できる先輩や同志は、それなりにいた。そんなに、孤立無援の闘いという気はしなかった。何よりも、世論の後押しがあったからである。今回の憲法改正に熱心な自民党議員の顔ぶれの中に、当時私が信頼し一緒に行動した同志は、一人もいない。憲法改正に熱心な自民党国会議員は、古典的自由主義者というよりも、非自由主義的な考えの持ち主といった方がいいと私は思っている。
自民党(正式には自由民主党)という政党は、確かに自由主義を標榜している。しかし、自由主義を標榜しているからといって、自民党が自由主義政党であることにはならない。その辺は、自民党の中で実際に行動した者でなければ理解できないであろう。自民党という政党は、政権党に所属したいという者たちが政権党になるために結束している政党なのである。主義主張など、二の次なのだ。
そのような自民党と安倍首相は、今度の参議院選挙で昭和憲法改正を争点として、参議院において昭和憲法の改正をしようとする勢力で3分の2以上を確保したいという。もしそうなれば、衆参両院の3分の2以上の国会議員の発議によって、昭和憲法改正の国民投票が実施されることになろう。その場合、賛成票が過半数を超える可能性が高いと私は思っている。そのような重大な政治情勢の中で迎えた、66回目の憲法記念日なのである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。