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FORUM21 2007年1月15日 通巻118号
創価学会党化した自民党-1
序にかえて
白川 勝彦 (元衆議院議員)
本誌発行人の謀略(?)
この論文を書かなければならなくなったのは、本誌の発行人乙骨正生氏の謀略(?)である。私は雑誌などに投稿を頼まれたとき、以前はタイトルも自分でつけていた。雑誌社の方針でまれに変えられることはあったが、普通はこれがそのまま私の書いた物のタイトル・見出しとなった。平成8年ころ創価学会問題で俵孝太郎氏と話す機会が多くあった。そのとき俵氏からタイトル・見出し・文中の小見出しなどはすべて雑誌社まかせで自分で付けたことなどないということを聞いた。平成8年月刊誌『諸君』に掲載されたあの有名な「新進党は創価学会党である」という論文のタイトルも雑誌社の方で付けたのだろうか。
私は2001年から月刊誌『財界展望』に「政界談義『白川勝彦の“日本を斬る”』」というコーナーに時事評論を5年間にわたり書いた。新党・自由と希望を立ち上げたころであったので忙しさにかまけ、見出しや小見出しや誤字・脱字の訂正まで編集者にまかせた。これはかえって良かっ。やはりモチ屋はモチ屋である。以後普通の場合、投稿を求められた場合、このようにしている。
旧蝋(白川注:蝋は肉づきです。私のワープロでは出てきません)8日久々に乙骨氏と会い、旧交を温めた。このとき本誌が発刊されたこと、その発行人兼編集長ときにはライターも同氏が務めていることを初めて知った。自らの不明をおおいに恥じた。数冊をパラパラとその場で読んだ。なかなか面白そうであった。そのとき最近自公連立についていくつか思うところがあるので私も小論文を書こうかといったところ、乙骨氏から巻頭言「閻魔帳」に一文を書いてほしいと頼まれた。書こうと思っていた論を展開するにはちょっと枚数が少ないようには思ったが、発行人自らの依頼なので快く受け入れた。指定された締切日までには必ず原稿をデジタルで入れるが、タイトルや誤字などは編集部の方で付けてほしいと頼んでおいた。ただしタイトルが決まったら念のために教えろよとも付け加えておいた。
タイトルを見て驚いた
乙骨氏とは別件で連絡を取り合ったが、年末の忙しさにかまけタイトルの報告はなかったし私も確認はしなかった。押し迫ったころ本誌1月1日号が送られてきた。タイトルをさっそく見てちょっと驚いた。
「公明党との連立で創価学会党に変質した自民党」
である。
「新進党は創価学会党であるが、自民党は大きいので公明党と連立を組んでも創価学会党にはならないと主張する者もいた。かつて新進党を創価学会党と激しく叫んだ人である。しかし、この8年間の自公連立の固定化により、自民党はやはり創価学会党となった。公明党が政権に参加し、選挙まで一緒になって戦うようになった必然的結果なのである。自民党は公明党と連立を組むことにより変質してしまったのだ。これは自民党という政党の性質やメカニズムを分析すれば簡単に分ることなのである。」
確かに私の小論にはこのように書いてある。しかし、これは漢詩ではないが前に出てきた文章と韻を踏むような軽いタッチで書いたものである。この小論では「これは自民党という政党の性質やメカニズムを分析すれば簡単に分ることなのである」というところに主眼があった。従って引用した文章の後の三段で巻頭言風ではあるがこのことを書いている。
正直にいって困ったと思った。だがそれは創価学会や自民党から睨まれることになるからなどというものでもちろんない。そんな臆病風に吹かれるくらいだったら最初から投稿するなどとはいわない。私が困ったと思って理由は別にある。
「創価学会党」の論拠を示す必要が
自民党はいちよう天下の公党である。しかも政権党である。いや正確には政権党のひとつである。残念ながらワンランク格下げである。私たちがかつて「自民党は政権党である」というときには誇りと気概と責任をもってこの言葉を使っていた。いまの自民党諸公にはこのような気概や迫力をもって発言や行動している気迫を感じることができない。
しかし、自民党はいやしくも(本当に卑しい党になったが……これはもちろん韻を踏んでの表現である)政権党のひとつであることに変わりはない。その自民党を「やはり創価学会党となった」というには、それなりの論証が必要であろう。もちろんこのことを論証するには与えられた枚数は少なかったし、巻頭言にはふさわしくない。だから頼まれた原稿は自民党の性質や運営のメカニズムというところに重点をおいて書いたのだ。
従ってタイトルとしては「大株主を得た幸せな社長 小泉・安倍首相」くらいがいいところかぁーとないかと思っている。私がこのようなタイトルを付けてさえおけば、私はこれからの論文を書かなくてよかったであろう。しかし、賽は投げられたのだ。
年末乙骨氏と忘年会で会う機会があった。そこで私は以上のことをいって同氏を軽くなじった。乙骨氏曰く、
「白川先生からいただいた原稿に中途半端なタイトルを付けてはかえって失礼なことになる。原稿の中に『自民党はやはり創価学会党となった』とありましたから、私がこう付けました」
このこのこと自体に私は何の不平や不満はない。しかし、やはり天下の自民党を創価学会党という以上、これにはもう少し論拠を示さなければならない。乙骨氏に本誌でもう少し紙面を与えるようにいった。同氏がこれに同意したことはもちろんである。こうしてこの連載は始まることとなった。
変質してしまった自民党
衆議院の3分の2を超える化け物のような自公連立政権がいまわが国を支配している。そして戦後60年余の伝統的な政治的価値観からいえばハッキリいって悪政といえるひどい政治をやっている。暴政といってもいい局面も数多くある。
長い間一党で政権を担ってきた自民党は、それなりに国民世論を反映せざると得ないメカニズムをそのなかにもっていた。それは件の巻頭言で書いたとおりである。しかし、そんな自民党はいまや存在しない。公明党との連立によって自民党は完全に変質してしまった。そこにわが国の政治がおかしくなった原因があるのである。
創価学会・公明党が自民党候補を選挙で応援するようになって、野党がなかなか勝てないようになったために最近では自公連立問題にする人たちが増えてきた。しかし、本質はそんな問題ではないのだ。自民党候補に創価学会・公明党がつくことにより、プラスもあればマイナスもある。それは戦い方の問題である。平成8年の小選挙区制の下で初めて行われた総選挙では、自民党はこの点を徹底的に攻撃することにより勝つことができた。
そのとき『諸君』に掲載された政治評論家俵孝太郎氏の「新進党は創価学会党である」という論文は、自民党にとっても小選挙区で厳しい戦いを余儀なくされていた自民党候補にとってもバイブル的論文であった。この論文はわが国の政治史に残るいくつかの優れた政治評論のひとつである。現在にも通ずる鋭い指摘が数多くある。
俵氏と一緒になって憲法論から政教分離を主張した私には、自公連立政権の問題点とりわけ自民党の創価学会化を指摘しなければならない責任がある。本来は自民党の問題であるが、政権の大部分を占める政党の問題であるから日本の政治の問題でもある。日本の政治を動かした俵氏の名論文に匹敵するものを書く自信はもちろん私にはないが、自民党を愛しその改革のために命を懸けて戦ってきた者として、その経験をふまえれば何がしかの参考になるものは書けると思っている。私にそのような物をものせよという深慮遠謀が本誌発行人である乙骨氏にはあったのかもしれない。深慮遠謀であるから冒頭「謀略(?)」といったことはお許しいただきたい。以上をもってこれから論ずるテーマの序とする。