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地方復権の政治思想    クリックしてください。*この本は全文を順次掲載しています
序にかえて

篠原 一 (東京大学教授) 

著書表紙写真   人間が政治家として成功するためには、二つの条件がいる。一つは世の中をつくりかえていこうという情熱とエネルギーがあることであり、他は、そのような人間が活動するにふさわしい状況があることである。二つが一致しないと、すぐれた資質をもった政治家でも成功しない。

 第二次世界大戦中のイギリスの首相チャーチルは、平時には、活動的ではあるが奇妙た行動をとる政治家として信頼されていなかった。しかし、ヒトラーがヨーロッパを席巻しはじめるやいたや、イギリス国民は、その勇断を期待してチャーチルを首相の座にむかえた。そして戦争が終わるや、戦後の国内建設には不向きであるとして、こんどは彼を首相の地位から下ろしてしまった。このことは、イギリス国民の政治的成熟さを示しているが、同時に客観的にみれば、この経過は、政治家の人格と政治状況との間のきびしい関係を浮き彫りにしている。

 はじめから話がむつかしくなってしまったが、では若き政治家白川勝彦君はどういうことになるのであろうか。 まず、政治家としての資質の問題がある。東大法学部には政治コースという学科があるが、政治家になりたいという学生はほとんどいない。政治家の中には東大法学部出身者が多いではないか、という人がいるかもしれないが、これは官僚という第一の人生を終わったあとで、いわば定年退職後の第二の人生として、政治家の道を歩く人が多いということであって、はじめから徒手空拳、政治の世界に挑もうなどという人はまったくといってよいほどいないのである。エリート中のエリートの階段をのぼってきた青年たちは、やはり約束された階段をのぼりたがり、政治という広漠たる未知の世界に、失敗をも覚悟して一人で旅立とうなどという勇気をもった人間は少ないのである。

 白川君は、断固としてこのようた人々とはちがう道を選んだ。むしろ彼は、政治の道にふみ入らないうちはおちつかず、生活も安定しなかったようである。逆に、政治に挑戦していらい、水をえた魚のようにいきいきとしてきた。彼は、ほんらい政治のために生まれてきた、現代にはまれな人間というべきかもしれない。大学に入ったとたんに寮活動に専念し、当時東大の学寮委員をしていた私を悩ましたところをみると、いまふみ出した道は、おそらく彼にとっては前から決められた定めのようなものであったのだろう。

 やや余談めいた話にたるが、東大の寮は田舎から出てきた学生のたまり場で、先生を招いて食事をするときも、つねに田舎風である。私だとは、東大の中のムラだなどと称しているが、白川君はムラの出身者よろしく、いち早く東大ムラの村長さんになったわけである。そのときから政治家の素質があったのだ。ただ、私に
は先見の明がなく、まさか彼が政治家になるとは思わなかった。だから、彼が立候補したいといってきたときは、正直にいって仰天した。しかし、よく話してみると、この人にはふっうの人にない熱気のようなものがあり、新潟四区のような過疎地帯を代表するには、もっともふさわしい、使命感にもえた人間であることが、だんだんわかってきた。

 さて、彼の政治家としての資質は抜群であるとしても、彼が登場する政治の場はどうであろうか。これを論じていくと大論文を書かねばならなくなるが、結論的にいって、これからの30年は、地域の時代になると思
う。戦後30年間の日本の発展はめざましかったが、それは大都市の時代であり、政治も経済も中央集権化の一途を辿った。この発展は多くのプラスをもたらしたが、マイナスの方も大きく、それに.対する反省から、近年地域の復権がいわれ、学者たちは地域民主主義、地域主義についてしばしば語るようになった。私も、日本列島をみみずのようにたち切られてもなお部分=地域が生きているような、いわぱみみず列島に再編すべきではたいかと考えている。

 農村が健全であるときに.は大都市も健全だが、農村がダメになると、大都市もダメになってしまう。日本はいまそういう状態になりつりある。だから、それを防ぐためにも、地場産業、地域産業が育成されなければならず、中央の機格と権限は大幅に地方に分散されたけれぱならない。こういう傾向をさして一地域の時代いう。このように、これからの30年は、地方の中小都市を中心に、まとまりのある地域を再建する時代である。この課題は次第に、多くの人に明らかになってきたが、しかしそれを実現する政治勢力はまだ成熟していたい。保守・革新を問わず、いまはそういう抱負をもった政治家がでてこなければならないときたのである。

 白川君は新地域主義の実現をその課題としている。これは大切なことである。これは、たんに過疎地帯にすむ人々を代表する声であるだけでなく、まさに二十一世紀を眺望したときの、日本全体の課題なのである。政治状況は、地域のもつ重さを知っている政治家の登場をまちのぞんでいる。白川君をめぐる、政治的人格と政治状況を概説すると以上のようなことになるが、何もむつかしいことをいわなくても、地域はその地域にふさわしい人を選び、その人を政治の世界に送り出さなければならない。

 そして、そのためにはいうまでもなく、なにはともあれ選挙で彼を勝たせなければならない。再びイギリスに話を戻すと、世紀の大政治家といわれたディズレーリは三度も落選して、四度目にやっと当選した。しかし、それ以後は着々と首相への道な歩み、十九世紀最大の民主的政治家とたった。ディズレーリですら三回もおちたのだ、一回ぐらい何でもない、ということもできるが、やはりムダはたるべくしない方がよい。白川君のような逸材の場合は、一回ぐらいではなく、一回だけということにしてほしい。彼はそれにふさわしい人間だと思う。

昭和五三(1978)年七月   

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