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戦うリベラル 共栄書房刊 ISBN4-7643-1008-3 C0031 P1200E |
はじめに |
「有権者はあたかも宝くじでも買いにいくように、嬉々として投票所に足を運んでいた」平成元年二月十二日おこなわれた福岡県の参議院補欠選挙を現地に赴いて分析した高名な政治学者のコメントであった。 それから四、五ヵ月後、わが新潟県において、知事選挙、参議院補欠選挙、参議院通常選挙の三つの選挙があいついでおこなわれた。私は、自民党の衆議院議員として三つの選挙を新潟四区において戦った。私の選挙区は、全国でも屈指の保守地盤の強いところである。そんな選挙区でも有権者は、自民党にお灸をすえるため、「嬉々として投票所に足を運び、社会党候補に投票した。結果は、想像を絶する厳しいものであった。 |
こんにちほど、わが国の有権者が政治を自分のものと感じ、積極的に参加しているときはないのではないだろうか、まさに、「政治の季節」である。このこと自体は、すばらしいことだと思う。私は水を差すつもりは毛頭ない。日本の政治は、こうしたことを通じて進歩し、前進するものと確信している。逆風をもろに受けている自民党の政治家として、あえて言わせてもらえるならば、国民が政治に問う中味をもっと深めてもらいたいということだけである。 昭和五十年、当時まだ三十歳であったが、私は郷里の新潟四区に帰り、衆議院選挙に挑戦した。 この結果、地方自治
地盤・看板・カバンのない、文字どおり「ゼロからの出発」であった。昭和五十一年の 感激の初当選から幸いにも私は四期連続して当選させていただき、国会生活も今年で満十年となる。一つの区切りとして、この十年間、「戦うリベラル」として私が国会や自民党のなかでやってきたこと、そしてこれからやっていこうと思うことをまとめてみたいと思っていた。私たち政治家の日常生活のなかには、じっくり物を調べ、思索をめぐらす時間はない。それだけに、それは必要なことだと思ったし、また、私にとって魅力的な仕事でもあった。 しかし、今年に入り、自民党をとりまく政治情勢は一変した。私は「戦うリベラル」として眼前で行進する諸問題に無関係でいることはできなかった。一月の末ころから、党内の若手リベラル派議員の結集体である「平成の会」を設立すべく、私のほとんどの時間を投入しなければならなくなった。 平成元年四月四日、ようやく「平成の会」の設立にこぎついたと思ったら、つづいて、「自由革新連盟」の設立の仕事がでてきた。 自民党の"構造的金属疲労"の幣はますます集中して露呈するなかで、私は、自民党改革の先鋭的な役割を果たさなければならなくなった。一方、五月から七月までは、各種選挙で明け暮れ、海部政権が誕生し、自民党内の政治的混乱が一応落ち着いた時には、すでに解散風が吹いていた。今度は、自分の選挙区での活動が忙しくなってきた。今年になってからもしばらくは捨てきれなかった魅力的な仕事も、ほとんど絶望的となってしまった。 この本の出版の話が持ち込まれたのは、八月の末ころであった。私たちが「平成の会」や「自由革新連盟」を結成して、自民党改革のために活動したことは、国民の多くから共感をもって受けとめられた。私はそうしたグループのリーダーの一人としてマスコミにもたびたびとり上げられ、私たちの主張をする機会も多く与えられた。そういうところで述べたことを、体系的にまとめて本にしたらどうかという話であった。 ただ、私はどちらかと言うと完璧主義者の方であって、やるとなるとトコトンやらないと気が済まない性質である。それには、とうてい時間が足りないことは明らかであった。やはり、断わるしかなかった。 しかし、出版社の方もなかなか執拗で、簡単にはあきらめてくれなかった。この十年間、折節にふれて私が書いたものをまとめるだけでもそれなりのものができるからと言って引き下がらない。確かにこの十年の間に、私が書いたり、述べたりしたものをまとめると相当の量になる。それらは、その時々に私としても命がけで述べたことであるので愛着もある。それらを出版社の方でスクラップしたものを読んでみたが、私自身には意味があるものでも現時点でとらえると焦点が少しずつ違っていて、また、現在では意味の薄れたものも多い。そんなものを出版しても意味があるように思えない。政治はまさに生き物である。 まてよ!政治が生き物だとしたならば、いまの政治の流れのなかで、いま、考えていること、いま、述べなければならないことをまとめてみなければならないのではないか…。こういう考え方が頭をもたげてきた。現に、私自身、毎日のように選挙区で国会報告会をやっているわけだが、一時間の演説のなかでしゃべれることは、言いたいことのほんのわずかである。その想いは決して私だけではないであろう。私と一緒に戦っている同志も同じところでほぞをかんでいるはずだ。 完璧でなくともいい。現在進行している政治の流れのなかで多くの人々に訴えたいこと、考えてもらいたいことを少しでも伝えられればいい。そういう気になって、メモをもとに十時間あまりしゃべったことをまとめたのが、この本である。 最初は速記録をもとにして、論文にしようと思った。しかし、そもそも文献を照会したり、論理の展開を練り直す時間がないところからはじめた作業である。無理して論文調に直すと、かえって空疎になり、論理展開がおかしくなる。したがって、速記録に若干の手を入れる程度にとどめることにし、語りかけ口調とすることにした。
私は、いまでも、後援者のお茶の間を借りて十数人のミニ集会をよくやる。読者も、そうしたミニ集会に参加したつもりになってこの本を読んでもらえれば幸いである。私自身、読みかえしてみて、手を入れたいところ、もう少し委細を尽したいところが一杯ある。しかし、限られた時間のなかで、きわめて実践的・政治的必要性に迫られて出版したものであるから、読者もそこは寛大に読んでもらいたいと希望する。ただ、大筋だけ 平成元年九月二十六日 |
2 リベラルの挑戦 |
政治を志す 私が政治を勉強しようと思ったのは、高校二年のときにたまたまロータリークラブの推薦でアメリカへ行って、自由なアメリカ、豊かなアメリカ、というものを見たのが一つのきっかけでした。 当時はケネディ大統領の時代で、アメリカがもっとも自信と活気に満ちあふれているときでした。わずか二ヵ月のアメリカ滞在でしたが、中学の修学旅行で東京へ行ったことがあるだけで田舎の生活しか知らない私にとって、「あこがれと未知の国」アメリカは、見るもの聞くものすべてが驚きでした。新潟県の十日町市という小さな町の、そのなかでももっとも貧しい生活をしていた私が、ロサンゼルスのロータリークラブの会員宅でのホームステイですから、生活レベルが百倍ぐらい違うわけです。日米の経済的な格差をいやというほど見せつけられて、もう素朴に日本は貧しい国だと思いました。「こうした貧しい経済のなかに住んでいる人間は、やっぱり基本的にみじめになる。もっと日本を豊かにし、アメリカ人が自由を謳歌しているのと同じように、日本人も一人ひとりの可能性をもっと発揮できるような社会を作っていかなければならない。そのためには、政治がもっとしっかりしないとダメなんだ。まず政治というものをじっくり勉強しよう」私はそう決心したわけです。 三十歳のときに、「衆議院選挙に出よう。それも自由主義者という立場から出よう」と思った最大の理由は、やはり当時も自民党は、選挙をやるたびにだんだん負けていたのですが、「国民は決して自由主義政治というのを否定しているわけではない。けれども、自民党のようなセンス、感覚あるいは政策で政治をやられたのでは国民は革新に入れざるを得ない。これは一人の自由主義者としてきわめてゆゆしき事態だ」と思ったことでした。 当時は、美濃部都政をはじめとして革新自治体全盛のときでしたし、公害裁判が全国各地にありました。その状況を見ていると、やがて地方自治体は革新が制覇し、国政の場においても保革が逆転するのではないかと、そんな危機意識を持ったわけです。そこで感じたのは、革新陣営が言うような、例えば公害問題とか福祉問題、あるいは老人問題などというのは社会党や共産党の専属テーマなんだろうか? という疑問です。 この程度のことは、実は自由主義体制のなかで充分に処理できる問題だと思いました。ゴミをキチンと処理しますなんていう話は、社会主義か資本主義かというテーマではなくて、まさに住民のための政治という単純なテーマであって、やっぱり政府・自民党が本来の自由主義なり民主主義に忠実な政治をやっていないから、その間隔を社会党や共産党が革新ということで衝いてきたんだと言わざるをえません。 つまり、自民党がふがいないために革新にやられているんだと思わざるをえませんでした。同じ自由主義者として非常に情けなく感じ、それなら自分が政治家になって、少しでも改革の気運を盛り上げてやろう、と思ったわけです。自分なりにこういうものが本当の自由主義政治なんではないかということを明らかにすることによって、自分自身が自由主義政治の変革者の一人になろう、こう思って立候補を決意しました。 挑戦とは必死の努力に意味がある 地盤、看板、カバンのない者が選挙に出るということは、それは大変なことでして、正直言ってどう考えても当選する見込みは立ちませんでした。とにかく一年間、悩み、考え、迷い続けました。私を迷わせたのは、衆議院に出馬しても当選はきわめて困難だろうということと、もう一つは、自ら好んで政治家としての厳しい人生をあえて選択すべきか否かということでした。 悩み、考え続けた末の結論がこうでした。「とにかく十年間だけやってみよう。十年間やって、たとえ私の挑戦がダメであったしても、自民党あるいは自由主義政党というのは本来こうあるべきなんだと訴えた一人の青年の行動は、日本の自由主義の発展のための貴重な捨て石になるはずだ」そう考えたわけです。人間というのは、成功の保証があるときにのみ何かチャレンジするのかというと必ずしもそうではなくて、たとえダメだったとしても、そのチャレンジに意味があるんだと納得したとき、本当の決断ができるのではないかと思います。 そのときの出馬声明文を、一度読んでいただきたいと思います。 所信 1 一つの世代にとって到達点であったものが、次の世代にとっては出発点であります。それが進歩を愛する国民の歴史であります。 しかし、そうは言っても、初出馬のときは大変でした。“筆舌に尽くせぬ苦労”というのは、まさにこういうことを言うのでしょう。第一、右の出馬声明文で大苦労をしたのです。言いたいことは山ほどあるが、格調高い文章でしかも簡潔に書くとなると意外に難しい。しかもそれは、何万もの有権者の批判に耐えるものでなければなりません。たった原稿用紙四枚ほどの声明文を書き上げるのに、三日三晩ほとんど眠らないでやっとできました。 政治を半歩でも進めることができれば さて、そういう形で、わずか三十八万円の資金をもとに自分なりに一生懸命やったつもりですし、またある面では、本来自由政治というのはこうあるべきだ、と思うような理想を貫きながらやったつもりです。私は、新潟四区というところは、経済的に、あるいはいろいろな面で最も進んでいるところなどとは思いません。しかし、そういうなかでも私みたいな者が当選したところを見ると、現在、国民は「いい政治をやります」という政治家がいれば、本当はそれを支える力というものを持っているのではないかと私は思っています。 ただ、国民のなかにそういう民主主義、自由主義政治を支える力があるから、誰でもやればやれるかというと、そうではありません。やはり政治というのは、リーダーシップがあるからこそ大勢の人が「よし、やろう」というふうになってくれるのであって、私だって本当に筆舌に尽くしがたいような苦労をしました。決して楽をして当選したわけではありません。政治的なリーダーシップという面では、それなりにキチンと勉強していかなければなりません。 私の場合は、十八から三十歳ぐらいまでいろいろな政治活動に関与していましたから、ある面では、一つの政治運動というのはどういうふうにやっていけばいいか、という経験が多少ありました。だからこそやってこれたと思います。政治の世界を全然知らないならば、私だってやってこれなかったと思うのです。 一方では、国民のほうにも、「政治家というのは、自分たちが支えてつくっていくものだ」というそのことを、ぜひ理解してもらいたいと思います。全国の市町村議員のレベルでは、数は少なくても結構おもしろい人が当選している。それは、まあ市町村議員ぐらいならやれるんじゃないかというある程度の気軽さが、結構特異な人物を出しているのだと思います。ところがその比率は、県会、国会になるにしたがってだんだん少なくなってくる、というのが実情です。 それは、やはり衆議院の選挙を自分たちの力で--というふうに思うのは、ものすごく大変なことだと考えているからではないでしょうか。小さい選挙なら、「おれたち十人ぐらい集まれば何とかなるんじゃないか」というふうに始められるかもしれませんが、衆議院となると「ちょっと話は別だわな」という形で、応援してやるという下からの力がなかなか出てこないのです。 しかし、そんなことはないのです。これだけの情報社会、あるいは交通が非常に便利になった世のなかでは、本気でやってしまえば、意外にやっていけるのです。いまの日本の政治を考えてみるときに、「本当に困難のなかでもあえて挑戦していこう!」という政治家志望者が少ないということも事実ですが、「自分たちは政治に不満を持っている。だから自分たちに本当に身近な政治家をつくるんだ」というような点に関して言うと、国民自身あまり意欲的ではないような気がします。 本来ならそういういろいろな政治運動の中核になる能力を持っているし勉強もしている、いわゆる知識人とかエリートと言われている人たち、この人たちがそういうことに熱心でないというのが、日本の一つの大きな問題点だと思います。 選挙運動などというのは、確かにそんなにすばらしいというほどのものではありません。政治家をつくるのだといっても、そう大したことがない人間を担いで、苦労しながら当選させていかなければならない。誰から見ても選挙なんてものはそんなに高尚というほどのことではありません。しかし、高尚なことでないからといって、知識人やエリートたちがそれに参加しないから、現実はもっとひどい政治家が多くなってくる。ですから、大勢に人が選挙に素朴に、あまり理屈を言わないで参加していってもらいたいと思います。 選挙というのはもともと、神様のような人を政治家にすると言うことではないと思います。いまいる政治家よりましだと思ったら、政治を半歩でも進めることができればいいんだというような気持で、一生懸命やることの方が大事なのではないかと思います。私をずっと支えてくれたのは、いわゆる知識人とかエリートと言われている人たちよりも、圧倒的に普通の人たちでした。 日本の政治を動かしているのは、必死に生きている大衆なのだと思います。 それから四、五ヵ月後、わが新潟県において、知事選挙、参議院補欠選挙、参議院通常選挙の三つの選挙があいついでおこなわれた。私は、自民党の衆議院議員として三つの選挙を新潟四区において戦った。私の選挙区は、全国でも屈指の保守地盤の強いところである。そんな選挙区でも有権者は、自民党にお灸をすえるため、「嬉々として投票所に足を運び、社会党候補に投票した。結果は、想像を絶する厳しいものであった。 |
3 自由主義の政治哲学 |
自由主義か管理主義か 私は、政治というのはどういう国をつくるかということ、もう少し専門用語で言うと、どういう秩序をつくるかというのが、いついかなるときもその本質だと思っています。 さて、一つの秩序をつくるのが政治の目的だとする場合、どういう秩序がいいかという考え方には違いがありますが、いろいろな価値観があっても、とにかく秩序をつくってキチンとまとまりのある国をつくろうということは、どんな政治であっても本質的なことだと思います。それは太古の昔からそうだと思うのです。 そこで、どうしたらいい秩序ができるかということに関して、私は二つの考え方があると思うのです。 一つには、秩序という言葉からして、「良き管理をするからいい秩序ができる」という考え方であります。それに対して、「管理することによっていい秩序ができるという考え方は、本当に正しいのだろうか? そもそも国というのは、そんなに管理能力があるのだろうか? 逆に、できるだけ管理しない方が結果としてはいい秩序ができるのではないか?」という考え方があります。こうした考え方が十七,八世紀からでてきた、まさに自由主義政治の哲学だと私は思っています。これはイギリスから始まりました。 経済については、アダム・スミスが、経済を発展させるためには自由競争の方が結果としてはいい秩序が出てくるんだ、という主張をしたわけです。 そこには、単に政治制度だけではなくて、人間に対する物の見方において根本的に違う立場があると思います。一つは、まず管理するという問題を考えてみても、人間というのはそんなに管理できるのだろうかという問題があります。管理の前提には教育という問題があります。教育しないととんでもないことになるからというので教育する。しかし教育だって、国家が考えるように完璧にはやれっこない。いわゆる権力者側の立場に立っても。そんなに徹底した教育もできないし管理もできない。だから、管理したら結果としていい秩序が出てくるんだという考え方はあきらめた方がいい。私はこのあたりから、自由主義政治の考え方が出てきたのではないかと思います。 ボーナスとペナルティー もう一つは、私は、自由主義政治というのはやはり、人間をどう見るか--というところが、そうではない政治の思想と非常に違っていると思うのです。 性善説かというとそうでもない。例えば、人間というのはある程度一生懸命やったら、ちゃんとボーナスを与えなければだめだという、そういう点では非常に人間不信なのかも知れません。同じように、悪いことをしたらペナルティーをあたえようというのも、人間不信なのかも知れません。 ただ一方では、自由主義者というのは、では人間というのは自由にしたからといってみんながみんなそんなに悪いことをするかというと、「それほど捨てたものではないよ」ということも考えていると思うのです。だから、原則的には自由にしてしまえという発想がでてくるのだと思います。国民というのは、まるっきり当てにならないのだというのならば、最初から原則的に自由にしてしまえなどという発想は出てこないと思います。 党内で議論するときでも、また世間でもそうですが、「自由はいい。しかし自由の濫用はけしからん」ということを言う人がいます。それはそのとおりなんです。民法にも「権利の濫用はこれを許さず」と書いてあります。 自由にしてもいいというと、自由をはき違えて、やはり許されないことを平気でやってしまう人が一定の率で出てくる。そのかわり、同じくらいの率で、期待した以上にその自由を生かしていいことをやる人もいるわけです。だから、自由にした以上、どうしたってある程度期待しないことをやる人、ドロップアウトする人が出てくるのはやむを得ないことなんだということを、自由主義者は最初から考えた上で原則的に自由を与えるべきだ、と思っているのです。 “できるだけ無条件の自由”というゆえんは何かというと、過ちを犯す人も、よく見ると、その大多数は普通は正常なグループにいるのですが、一時的に過ちを犯すグループに入っているだけなのだと自由主義者は見ているのです。事実そうなのではないでしょうか。 しかし、そういう人は、逆に過ちを犯して一度チャンとペナルティーが与えられると、まず二度とドロップアウトして悪のグループには入らない。自由主義者というのは、徹底した事前の教育によって悪を犯させないというよりも、「いくら教育したって限界があるのだ。人間というのは、ときには悪の誘惑に負ける時があるのは仕方ないことなのだ」と考えているのです。しかし、悪をなすことによって、それ相当のペナルティーを受けることによって、逆に悪は犯さなくなる--という“悪の効用”ということもちゃんと知っている人が、真の自由主義者ではないかという気がするのです。 それは、私たちが風邪をひいたり、はしかにかかったりしながら、病気に対する免疫をつけていくのと似ているのです。 こんな一般論を言うと、何とも七面倒くさいことを言っているような気がしますが、例えばわれわれ一人ひとりをふり返ってみれば、親や学校の先生がやるなということはだいたい一通りみんなやってきているわけです。そして人間というのは、それが見つかったり、またかりに見つからなくても、ああ、おれは悪いことをしたなと思って、逆にそう二度も三度も同じような過ちを犯さなくなるわけです。私などは、性悪な人間に生まれたからでしょうか、自分の体験からつくづくそう思うのです。あなたの場合はどうでしょうか。 管理でよい社会がつくれるか 「自由は認める。しかし、権利の濫用はこれを許さない」それはそのとおりなんですが、ちょっとしたことにすぐ目くじらを立てて、だから自由といっても、かなり制限をした自由でなかったらだめだよという物の考え方をする人というのは、自由主義ということの根本は本当はおわかりになっていない方なのではないかという気が私はいつもするのです。 物事というのは反対をみるとわかることがあります。管理した方がいい社会秩序ができるし、管理しなければだめだ--という国を見てください。まず、そうした国は、それは徹底した教育をします。で、そこまで教育したらもう後は過ちを犯さぬだろうと思って国民を自由にさせるのかというと、そういう社会に限って教育が終わっても自由にしないのです。自由にしないなんていうものではなくて、常に悪いことをしないかと監視する秘密組織だとか、管理組織が必ずあるのです。 管理社会ほど教育をする社会はないのですが、教育をする割には実は全然国民を信用していないのです。どんなに教育しても、人民などというのは何をするかわからないといって、裏に回って監視したり管理しているのです。 そういうところを見ると、自由主義社会というのは、一見冷徹のようなところもありますが、意外に人間を基本的には信用しているほうの“性善説”という立場に立っているような気がするのです。社会主義社会というのは、自分たちは性善説に立っているのだ、だから教育すればみんないい人民ばかりできるのだと言っていますが、根っこのところでは人間を全然信用してないのではないかと私は思っています。 自由主義社会の政治はどういうものか。自由主義政治の根本はなんだろうか。このことは、以上のようなことを十分ふまえて考えなければなりません。悪いやつが出てくると、「警察は何をしているんだ監督官庁は何をしているんだ」、社会党や共産党の先生方は国会でよくこういう言い方をします。そういう発想のなかには、社会主義者であるがゆえに、「“管理”すればそういう問題は起きない。管理が足りないところにすべての問題の原因がある」という思想があるように思えてなりません。 日本の一億二千万のすべての人の営みを国が管理できるわけもないのですし、また管理しようなどと思ったら膨大な役所や警察官が必要になってきます。いい世のなかというのは、多少の過ちや問題は起きるかも知れませんが、基本的には国民を信頼して自由にやらせることができる社会を言うのだと思います。 これを会社に当てはめると一番わかりやすいと思います。 例えば、企業の経営者は私たちに会うと「私は根っからの保守主義者ですよ。自民党の支持者ですよ」と言うのですが、これは保守だとか革新だという話ではないのです。およそ人類が続く限り、管理した方がいい秩序ができるという人と、管理しないでできる限り自由にさせた方が結果はいいんだ、という二つの考え方に分かれると思います。 だから、自民党支持者だ、保守主義者だと思っている社長さんにも二タイプあります。 社員を徹底的に教育して、社員のやることなすこと全部口を出して、おれについてこい、とにかく全部おれがやらなければだめなんだ、自分が掌握しなければ納得しないという社長さんもずいぶんおります。 それに対して、自分が守備できる範囲というのは非常に狭いところにしかない、だから基本的には社員に一生懸命やってもらうしかないんだということで、できるだけ社員に任せるところは任せて、比較的のんびりとやっている社長さんもおります。そんなにモーレツな社長さんという感じはしないんですが、立派な成績を上げている、そういう会社の社長もいます。それらを見ても、管理主義者と自由主義者という、二つのタイプの会社経営者がいるわけです。 会社が比較的小さいうちは、非常にやり手の社長さんが社員を一丸にしてガッと進む方が、たぶん会社としてはいいと思うのですが、ある程度大きくなってしまうと、そういうタイプだけではやっていけない。やはり発展した形態の社会というのは、どうしても自由主義社会にいかざるを得ないのではないかと私は思います。 適切なペナルティーが自由社会の根源 子供さんを育てるということも、同じようなことだと思います。とにかくいい子供に育てたい、生まれたときから大学を卒業するまではおろか、入社して結婚するまで、最近では結婚した後までも、立派な子孫を残すためという理由で三十くらいまで徹底的に管理する。そのようにして面倒を見ないといい子は育たないのではないか、と思っている親ごさんもいる。私なんか九人兄弟ですから、面倒も見れなかったのかも知れませんが、私たちの世代の親というのは、概してほったらかしておいても、それほどひどい子供にはならないということで育てたと思います。 自分の子供なんだから、たいがいのことは大丈夫だという形で見ていて、明らかに間違ったことをしたときは、キチッとしたペナルティーを与える。それだって全部が全部は見つからないと私は思います。子供さんだって馬鹿じゃないのですから、親に簡単に見つかるような悪いことをしません。しかし、そのぐらいの関心は持っていて、明らかにおかしなことをしている、誤ったことをしているときはペナルティーをキチンと与える。褒美も大切なんですが、誤ったときのペナルティーが大事だと思います。それさえちゃんとやっていれば、そんなに問題のある子供さんはできないと思います。 大切なことは、「こういうことをやったらペナルティーがあるというのが世の中なんだ」というけじめをキチッと教えなければならないのだと思います。私は別に、体罰をもってけじめにしろとは言いませんが、いまの世の中というのは、悪いことをやったときのペナルティーが昔に比べて甘くなってきたところがいけない事実だと思います。いいことをやったときのボーナスはいっぱいあるのです。しかし、ボーナスだけで人間をいい方向に引っ張っていけるかというと、人間というのはそれほど甘いものではありません。いいボーナスのある社会と同時に、適切なペナルティーのある社会というのが、自由な社会の根本だと私は思います。 そういう面で言いますと、やはり何といっても自由主義社会の原型はアメリカにあると私は思っています。アメリカの社会が、何だかんだと言いながら物すごいエネルギーを持っているのは、キチンとしたペナルティーもあるし、またちゃんとしたボーナスもある。アメリカという社会は基本的には自由な社会のいいところをたくさん持った国だと思います。 ですから、私は日本は全体としていい国だと思いますが、いい自由主義社会をつくろうという場合は、自由な社会というものがどんな形で運営されているかということについて、特にアメリカの社会に見習うことが多いと思っています。 日本は長い歴史のある国です。基本的には長い間、管理主義でやってきた国なんです。だから、本当に自由な国家になるためには、まだまだ管理主義的な部分が強いんだということを常に自重自戒していった方がいいと思います。 政治は人間の最高の営為 もう一つ、最近は政治をばかにする風潮もありますが、私は、政治は人間の最高の営為だと思っています。私たちは、日本という国、あるいは新潟県とか何々市町村というなかでそれぞれ生きていかなければならないわけです。政治が自分たちにとってどのような関わりあいをもっているか、少なくとも自分たちを統治している者は自分の味方なのか、それとも自分に敵対するものなのかを常に見据えるということは、一番大事なことだと思うのです。 例えば、「私はお金はある。幸いにもいろいろな面で家庭的にも恵まれている。ただ、自分が毎日生活している国というのが、実はおれの一番嫌いなやつがトップにいるんだ。しかし、それでも私は幸せなんだ」という人は小さな幸せに満足している人であって、大きな幸せに本当にどん欲な人ではないと思います。 だからといって、自分たちの代表としていいと思った人を国会に出したからといってすぐに幸せになるかというと、しょせん人間のやることですから、そんなにすぐには幸せにはなりません。しかし、自分が嫌だと思う人が、自分の国のトップにいるとか、自分の住んでいる町のトップにいるのに黙っている。もしもあなたが、本当にあらゆる意味での豊かさを求める人であれば、そうしたことに鈍感であってはいけないと思うのです。 あえて物質的な豊かさを犠牲にしてでも、いい政治をつくることから始めようと試みた国がいっぱいあります。日本の社会というのは豊かになったし、いい社会なんだろうと思いますが、日本人の望みというのは意外に小市民的で、一番肝心かなめの、自分たちに最後に命令する政府が自分たちの価値観に反していてもしょうがないという人も結構いると思います。それは、昔ながらに、しょせん権力には勝てないという非常に自暴自棄的な気持がどこかにあるからではないかと思います。だとすれば、それは民主主義という面で言えば、きわめておくれている国であると私は思うのです。 私は自分が政治の世界に出たからといって、完全に理想の政治が現にやれているとは思っていません。しかし、少なくとも自分が生きていることに関して、誰かに抑圧されているという気持はありません。自分が参加しながら、政治そのものを変えているんだという気持がありますから。 白鳥は悲しからずや 「いったい政治ってなんですか?」--これは私たち政治家が一番よく受ける質問です。そのとき、私はよくこういうことを言うのです。「政治というのは、言われてみると意外に利害損得にあまり関係がないものかもしれない」と。また、こう言います。「あなたは快晴の日と曇りの日、どちらが気分がいいですか?」と。すると、だれもが「快晴の日の方が気持ちいい」と答えます。 自分たちの価値観に合う政治をつくるために努力するということは、快晴の日のような国をつくろうということなんだと私は、思っています。天候というのは、いまのところ人間の力では何ともできませんが、政治的にカラッと、少なくとも自分たちの頭に何か覆いかぶさったものがないという程度のものは、みんなの努力でできる。つまり、“やる”ということ自体が大事だと思うのです。 この前の参議院選挙というのは、そういう結果をつくってみんなで「よかった、よかった」と言っているわけです。「自民党を負かしてよかった」、と。それは非常にハッピーなことでしょう。みんなで努力した結果そうなったのですから。そして、それで喜ぶということがまさに政治に“参加する”ことだと私は思います。 そのかわり、自民党を負かして直ちに幸せになったかというと、そうじゃないと思います。さっきも言ったとおり、自民党を負かしたからといって、では理想郷がすぐできるかというと、そうはいきません。 私は、この十四年間にそれこそ何万人、何十万人という人と政治の話をしてきているのですが、意外に政治の本質というのは快晴のような国をつくるというこんな単純なところにあるのではないかと思っています。 信頼関係がある政府と国民との間ならば、例えばその政府がつらいこと、負担を国民に求めたとしても、「そうだな。これはやむを得ないことだな」と映るでしょうし、曇り空のようなうっとおしいと思う政府が何か負担を求めてくると、「この野郎!」という形でとても受け入れられない、そう思います。まさに政治は「信なくば立たず」です。 十年間自民党のなかにいて思いますことは、私はもともと自由主義者ですから、「世の中にはいろいろな考え方がある。そのなかで自分の意見を多数意見にするように努力すればいいのだ」と思ってきました。私は、党内で少数意見の側に立つことが多いのですが、それは、私に力がないのだから仕方がないと思ってきました。 ただ、そういう自民党の代議士として私がいつも感じたことは、「白鳥は悲しからずや、海の青、空の青にも染まずただよう」という若山牧水の短歌の心境です。私自身、それほど志が高いとは思いませんが、政権政党だからといってそんなに満足感も覚えられませんでしたし、さりとて、少数派だからそれほどつらいなどと思ったこともありません。政権政党のなかにいていろいろなものを変えていくことによってこそ、結果としては政治家としての責任が果たせるのです。短気を起こして、「じゃ、おれは、党を出る」などと言ったら、結果として無責任になると思って十年間やってきたわけです。 きっと私は、一生同じような想いで政治をやっていくのではないかと思います。しかしそれは理想を持つ者の宿命だと思います。悲しいとは思いません。理想を持たない人間に政治をやる資格はないと思うからです。 |
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