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HOME > 白川文庫 [l] > カツヒコ・アラカルトTOP[f] > 白川勝彦の前向きライフ > 2012年11月18日 (第1回)

 白川勝彦の 前向きライフ   2012年11月18日 日曜日 (第1回)

白川・小泉 放送対談中の表情写真
話者名話の内容
白川みなさん、こんばんは。白川勝彦法律事務所・所長の、白川勝彦です。
増山ニッポン放送の、増山さやかです。日曜の夜、いかがお過ごしでしょうか。
「白川勝彦の、前向きライフ」 ─ この番組は、 白川勝彦法律事務所・所長で、弁護士歴40年の白川勝彦さんと一緒に過ごす60分です。様々な苦難を前向きに乗り越えてきた白川勝彦さんの経験談から、人生を前向きに過ごすヒントについて、考えていきたいと思います。
白川先生、改めてよろしくお願い致します。
白川こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
話者名話の内容
増山白川先生とは、今年9月まで「上柳昌彦 ごごばん」の「ごごばん法律クリニック」というコーナーの中で共演させていただきましたが … ラジオをお聞きの皆さんから法律に関する相談を頂いて、それにお答え頂いていたんですよね。
白川約二年間、でしたかね。毎週火曜日。放送時間そのものは10分間くらいなんですが、私にとって、非常に貴重な経験でした。
なぜかというと、私も大勢の人と話してきましたが ─ 演説会場でも、大きい時は1万人集会とかやったことありますけど ─ まだ目に入るわけだけども、目の前にいない人に喋るというのは、逆に初めての経験で、緊張感がありました。大体知っていることでも、万一間違えていたら困るということで、一度、みんな調べなければならないんですよね。調べていると、それに関連したことが…「こんなことがあったのか」「しばらく忘れていたな」と、いうことが結構ありましたから。そういう意味で、私にとっても、非常に勉強になった二年間でした。
ちょっと仕事が今忙しいので、毎週火曜日きちんととるというのがちょっと負担になってきているので、休ませてもらってます。また機会があったら、始めてみたいと思います。
増山ぜひ、「ごごばん」でも、またよろしくお願いします。今日は、白川先生がご専門の、借金の問題・債務整理について取り上げるのはもちろんなんですが ─ 先生が債務整理専門の弁護士になられたわけ、さらには、元自治大臣として政界でもご活躍された経験から、現在の日本について思うことなど、色々と、お話を伺っていきたいと思っています。どうぞ最後まで、よろしくお願い致します。
白川こちらこそ、よろしくお願いします。
増山今日は、聞くと元気が出るような曲をお届けしていきましょう。まず、この曲をお送りします。スティーヴィー・ワンダーで、「太陽のあたる場所」。
(♪)
白川改めまして、こんばんは。白川勝彦です。
増山こんばんは。ニッポン放送の、増山さやかです。この時間は「白川勝彦の前向きライフ」
白川勝彦法律事務所・所長で、弁護士歴40年の白川勝彦さんと一緒に、人生を楽しく前向きに過ごすためのヒントについて、お話ししていきます。
「ごごばん」でも1年9ヶ月に渡りまして共演をさせていただきましたが、今日は、初めて先生の声を聞かれるという方もいらっしゃると思いますので、まずは、プロフィールをご紹介させていただきます。
白川勝彦さんは、昭和20年 新潟県十日町生まれ。昭和44年に東京大学法学部を卒業され、弁護士の道に進まれます。昭和54年に衆議院選挙に出馬され、初当選。以後 6回の当選を重ね、平成8年には自治大臣、そして、国務大臣国家公安委員長に就任されました。平成20年には、東京の新橋に白川勝彦法律事務所を開設され、弁護士としての活動を本格的に再開。借金問題と債務整理を専門に、「剛腕仕事人」という愛称で、日々仕事に邁進されています。
今日は、そんな先生ご自身のお話から伺っていきたいと思うのですが ─ 新潟県ご出身なんですね? 十日町というのは、どういったところなんですか?
白川正式には、十日町市というんです。どこにあるかと言いますと … 新潟県は、中央にずっと信濃川が流れていますよね。長野県では千曲川というんですが、新潟県に入ると信濃川と言うんです。その、千曲川が新潟県に入ってちょっとの所に、十日町市というのがあるんです。
それから、十日町市という市は、世界でもCityと名が付くところで一番雪が深いところなんです。なんとか町とかなんとか村というのでは、もっと降る所があるかもわかりませんが、世界的に見ても、Cityと呼ばれているところでは、一番雪が多いところと自慢してるというか、そう言われていると思います。
増山どのくらいですか?
白川平年、約2mくらい降ります、毎年。2mくらい降っても、普通かな。さすがに、3m近くなると「今年はちょっと雪が多いな」と。
増山そんな、雪が多いところでお育ちになった。
白川それから、京都西陣に次いで、繊維のまちであること。ですから、私のうちも機屋でした。そんなところですね。
増山子どもの頃というのは、どんな感じのお子さんだったんですか?
白川普通の子供なんでしょうね。昭和20年で、9番目の子供だったので、梅干のような赤ん坊だったと言われますね。
増山梅干?
白川要するに、栄養も良くなかったから、かな。兄弟も多かったし、いろんな事情で家族も多かったので、いつも13〜4人の自分の身内が居ましたね。それから、同じくらいの数の住み込みの従業員の方が、家の中にいましたから。だから、30人くらいが、ひとつ屋根の下で住んでいるわけですよ。
増山賑やかですね。
白川ですから、いつも誰かと何かしていたという、そんな子供時代ですね。それは、僕だけじゃなくて、昔のうちではみんな、そういう人が多かったんじゃないかな。
増山ご実家の機屋さんが倒産をするという状況になってしまったそうですが。
白川物心ついた頃から、だいぶ商売が苦しいんだなというのが、子供ながらに分かりました。私が中学1年生の時に、我が家は倒産致しました。
倒産しますと、当然、いっぱいいた従業員がだんだん居なくなりますよね。とにかく、30人くらいの中で生活したことしかないから、それがどんどん少なくなってきて、最後は父と母と、当時嫁いでなかった兄弟が5人くらいいたのかな。今で言えば7〜8人というのは多いけど、30人ぐらいの人が7〜8人になったというのが、寂しかったですね。
増山子供心には、ねぇ…
白川倒産して苦しかったということよりも、大勢一緒に暮らしていた人が半分以下になったんだから、それは寂しかったですね。
増山そんなお子さん時代を経験した白川先生は、どうして弁護士の道を志したんですか?
白川学生運動とか、そういうのばかりやっていまして。結局、4年になったら大学卒業だなとなったんだけども、どうも就職もピンとこなかったし、どうしようかなと思っている時に、兄に、『司法試験を受けるなら、一年くらい、留年は認めてあげるよ』と。まだ、社会に出るよりも大学にいたかったもんだから、『じゃあ、受けるよ』と言って。
兄との約束でも、受かる自信は全然なかったんだけども、一応、司法試験を受けるということが留年の条件だったから。それで、4年の終わりくらいから勉強して … みんなから笑われましたよ。『白川が、何も勉強してなかったのに司法試験だ』と。
写真 ラジオ放送スタジオそれでも、一応兄との約束だからというので始めて ─ 弁護士になったというのは、司法試験を受かれば、普通は検察官か裁判官か弁護士になるんですけど、僕は、最初から役人になるという気持ちはなかったんでしょうかね。だから、裁判官になる気もなかったし、意外に顔がゴツいから、教官から『検察官になれ』と言われたんですよ。それも、全くなかったもんだから。だから、司法研修所を卒業したら弁護士になっていた、と … そんな感じです。
増山30歳で衆議院選挙に出馬されて、国会議員を目指して、新しい道に進まれるんですよね。最初の選挙で、落選されているんですね。
白川もともと、政治というのはずっと意識していましたし、勉強もしたもんですから、政治というようなものを、自分の仕事にできればいいなと思って。それで、弁護士でちょっと金が貯まったんで、勤めていた弁護士事務所を辞めたんですけど。
ところが、仕事を辞めると金がどんどんなくなるんです。100何十万あったんだけど、どんどん無くなって … まごまごしてるうちに、郷里に帰る金も無くなるなということで。本当はそうではないんですが、37万あるうちに帰らないと、帰るお金も無くなるということで、37を手に持って、衆議院に出るよと言ったんです。
増山そういうことだったんですか。
白川そんなような形で出たわけですから、落ちたのが、当たり前と言えば当たり前の気がしますけど。
増山これが、人生の転機にもなったわけですよね。
白川出るということ自身が、転機ですよね。ただ、今日のテーマともかかわるんですが、目的が ─ 衆議院議員になることが本当に自分のやりたいことならば、困難であっても、途中寄り道はしないで、まっすぐ行ったほうがいいだろうということで、僕は、市議会にも県議会にも出ないで、衆議院に出たんですね。
ただ、結果としては、それは良かったと思いますね。
立候補の声明から約一年くらいあったんですが、3万票取れたんですね … 6万票くらいで受かるところ。そしたら、「自分も、もう少し頑張れば6万票にいくかもわからない」と思ったし、同時に、周りの人も、『場合に寄ったら、あいつ、受かるかもしれないな』と、だんだん輪ができるようになりまして。そういう面では、目的が、本来衆議院議員になりたいならば、回り道するよりもまっすぐ行ったほうが良かったんじゃないかなぁ、と思います。
増山初当選から20年以上、国会議員として活躍をされるわけですが、政界ではどんなことをされていたんですか?
白川司法試験の勉強 ─ 特に、憲法と刑法の勉強をしながら、自由主義というのはどういうことなのかと勉強しましたから、やっぱり「自由主義でこの世の中をやっていく」と。そして、本当に自由主義政党らしい自民党を作るということを、僕は、一番の政治の中心においてましたね。
増山今は自治大臣というポストはないわけですけど、どういう役職で?
白川自治大臣というのは、昔は、自治省というものがありまして ─ 地方自治がやりやすいように、色々と援助するという、そういう役所です。
それから、大体一緒じゃないですけど、自治大臣をやりますと、当時は殆ど、国家公安委員長を兼務するんです。これは、警察庁という役所を管理監督するのが国家公安委員会でして、「国家公安委員会の委員長は国務大臣でなければならない」という規定があるもんですから。ですから、国家公安委員長もやったんです。
増山国会議員としても20年以上活動されて、今振り返ってみて良かったなというようなことは、どんなご経験がありますか?
白川私は、さっき言ったとおり、自由民主党の国会議員でしたけども、「白川は、自民党の中でも最もリベラルな政治家です」という風にありたいと思ったし、現に、そう言われてきましたね。
やはり、一番充実していたのは、自民党が野党になった時ですね。平成5年の時に、戦後初めて、自民党が野党になったんです。本当に自民党が野党になった時に一番活躍したのは、僕だったんじゃないかな…。
保守反動と言われている自民党とは、野党なんかで相手にする人はいないんですよ。「ところが、違うんだよ」、と。自民党というのは、全部が全部保守反動でもないし、現に「私は、リベラルとしてやってきたつもりだ」と。社会党の皆さんが言う以上に、ある面では、公平だとか一生懸命考える方かもしれない ─ そういう僕だから、自民党と社会党とさきがけの連携が、初めて組めたんじゃないかな。
僕は、こう言ったんです。「リベラルな自民党になれば、自民党は復活できるし、それを忘れたら、自民党は元に戻っちゃうよ」ということをずっとやってきて。そして、その通りにいきましたんで。その時、良い先輩にも恵まれたので、その時が、僕にとって一番充実した時かなと思います。
増山幼い頃からの話をずっと伺ってきたんですけど … ある意味、逆境の時期もあったんですけど、そこを前向きに乗り越えていらっしゃった、という白川先生ですけれども。このあと、再び弁護士として活動を始められることになりますよね。そのあたりのお話は、CMの後に伺います。
(CM)
増山ここまで、白川勝彦弁護士の生い立ちや国会議員としての活動について色々とお話を伺ってきましたが、現在は、債務整理を専門にする「白川勝彦法律事務所」の所長として、お仕事をされています。政治活動を経て、再び弁護士として活動をされることになるわけですが、どうして、改めて弁護士の道に進まれたんですか?
白川平成12年の衆議院選挙が最後の選挙で、それで落選したんですが、それからもずっと、僕は政治家白川勝彦だという、その自覚はあったんです。いつでも、必要がある時に出ればいいんだという気持ちでいましたから。ですから、インターネット等を使って、色んなことをやっていましたし。
ただ、そういうことで、機会があったらいつでも政治家をやるよという気持ちだったんですが、やはり、平成19年〜20年、私を必要とする政党が、どこもなかったんですね。ですから、僕は別に、政治家にならなくたって、政治には興味あったけども、僕を求める政党がないならば、政治の道はないんだなと思ったのが、その頃でした。
まだ60歳を過ぎた頃ですし、家内は私よりも13歳下なんです。そうすると、何かをしなければ、もうしばらく、年金だけ貰ってというわけにはいきませんから。そうすると、やはり弁護士という資格も持っているし、多少、昔やったこともあるから、日々の生活は弁護士として生きていこうかな、と思いました。ただ、60歳を過ぎて、これから白地で弁護士を一生やろうという話ではないから … 10年間くらい弁護士の仕事をしようとしたならば、ある程度、専門的な分野を決めなければいけない、と。また、今、そういう風になっているんです。そうすると、当時非常に、多重債務者問題が、社会的にも大きく騒がれていましたから、やはり、これは政治のつけがあるんじゃないだろうか、と。…と、いうことで、債務整理を中心とする法律事務所を開こうと思いまして。
若い時に ─ 昭和50年代でしたけど、今とはだいぶ違うんですけど、債務整理をやったことがある。ある面では先駆けでやったことが、3年間くらいありましたから。ですから、債務整理の専門の事務所を開こうと思ったのですが、迷いはなかったですね。それで、大勢の人に集まってもらうには、東京の新橋がいいだろう、と。
増山以前弁護士をされていた時と、債務整理を取り巻く環境というのは、だいぶ変わっていたんじゃないですか?
白川変わりましたね。色んな広告なんかが電車だとかにのってますけど、昔は、債務整理をやりますという法律事務所の宣伝はなかったです。僕がやった頃も、そうでした。
私は、新潟県の上越地域というところで弁護士業をやっていたんですが、その時には、我々の地方には、サラ金なんてなかったです。主にあったのが、商工業者が、町の金融業者からかなり高い金で事業資金を借りている、という人たちの債務整理でしたね。その頃は、今と違って金利が高いんですよ。むちゃくちゃ高いから、「どこどこの業者さんは年間80%で貸すけど、うちは70%で貸しますよ」と。「いやいや、うちは65%で貸します」 ─ そんな競争している時代です。とにかく、むちゃくちゃな金利の頃だったんです。しかも、商工業者ですから、額が大きいんです。400万、500万という人がザラにいましたから。そういう債務整理をやって、大変苦労しまして … 「これは、一家離散だな」と。
そういう高い時代ですから、3〜4年も借りていれば、何百万という過払い金が返ってきたんですよ。だから、そういう人から見たら、白川は神様みたいに見えるんですよね。その評判を聞きつけて、私が弁護士をやっていた管内 ─ 新潟県の南の方から、押すな押すなという程ではなかったけど、「白川のところに行けば、高い金利から助けてくれる」というので。その経験があるので、「債務整理は、すごくやりがいのある仕事だな」と思ったんですが。
今、殆どの法律事務所がやっている債務整理は、個人の債務整理が多いんじゃないでしょうか。大きな会社の会社更生法だとか、それは、個々の弁護士じゃなくて、大きな事務所がやるので。俗に言う多重債務というのは、殆ど個人です。ですから、随分違っていますよね。それから、サラ金がどこにいたってあるじゃないですか。だから、大勢の人が借りているもんですからね。そういうことですね。
増山多重債務の相談にいらっしゃる方は、やはり増えていると感じますか?
白川そうですね、一時よりは、ちょっと今は落ち着いているかなという感じがするんです。貸金業法が改正されて、そもそも借りれなくなったんですね、3分の1しか。非常に、貸出の基準が厳しくなったから、借りたくても借りれない、と。それはそれで、問題があるんですけど、そういう面では、だいぶ違っているでしょうから。これは、不景気だし ─ これだけ、会社そのものが不景気でしょ、賃金が下がって。それはやっぱり、借金の問題で悩んでいる人は、多いですよ。
増山先生は、「困っている人のために一度引き受けた仕事は、どんなに報酬が少なくても、最後までやり遂げる」ことがポリシーだそうですけど、先生が弁護士として大切にしていることというのは、どういうことになりますか?
白川私共も、大勢の所員を使って、それだけ経費がかかりますから、それは、僕らもタダではやりませんよ。基本的には、弁護士会の基準に従って、それ相当の報酬は頂きますけど。借金をいっぱい持っている人というのは、本当にギリギリの人がいますよね。しかし、ギリギリだけれども、「私は、なんとかこの借金問題を解決したいんだ」と。その気持ちが大きいならば、では、その報酬が高いとか安いとか、それは、言うつもりはありません。
増山「本気でしたら、引き受けますよ」と…
白川「ただし、僕もあなたの約束を守るから、あなたも約束だけは守ってくださいね」と。弁護士というのは、止め屋じゃないんです。あくまでも、たとえ100万でも200万でも、あなたの借金を解決する問題をなんとかしてあげるのが僕らの仕事であって、業者からの取立てを止めてやる ─ そんなこと、いつまでもできるわけがないから。ある面では、これは止め屋として使われたなという時は、それは、遠慮なく辞任いたします。
増山そういうご経験もされた、と…
白川それは、いっぱいありますよ。
増山皆さんにも、白川勝彦弁護士がどんな方なのか、大体お分かりいただけたかと思いますが、いかがでしたでしょうか。
このあとは、その白川先生が専門にされている債務整理につきまして、基本的なお話を伺っていきたいと思います。
今日は、聞くと元気が出るような曲をお送りしていますが、続いてお送りするのは、こちらの曲です。
サム・クックで「Wonderful World」。
(♪)
白川今日この時間は、私、白川勝彦がお送りしています。
増山さて、この時間は「白川勝彦 ラジオ法律クリニック」と題しまして、弁護士歴40年、白川勝彦弁護士にご専門である債務整理について、分かりやすく解説をしていただきたいと思っています。
先生、改めてよろしくお願い致します。
白川こちらこそ。
増山今日は、債務整理をテーマに伺っていきたいと思うんですが、そもそも、この債務整理というのは、法律で借金を整理する手続き、というような感じでいいんですか?
白川そうですね、それでいいと思うんですが。
増山借金で困っている人を再生する ─ 守るための方法とも言えますよね?
白川そういうことですね。債務整理とは ─ 借金整理と言ったっていいんですけど、借金の悩みというのは何故重たいか、深刻かというと、例えば、恋愛の悩みだと、誰かから良いアドバイスを貰って、ふと解決する場合もあるんだけど、借金の悩みというのは、何らかの手を打たないと増えていくんだ、と。そういう風になるのをやめましょう、と。まず、借金そのものを何とかして返す。あるいは、返せなかったら返せないで、処分する方法がある、と。
いずれにしろ、借金の悩みというのを、何らかの方法で解決しましょう、と。そうしないと、後で困りますよというところが、債務整理と言っていいのかな。
増山何かをしないと、解決しない…
白川だから、借金の整理をする、ということですね、債務整理というのは。
増山債務整理というと、自己破産しか選択肢がないと思っている方も多いですが。
白川借金は返せない。そうすると、貸金業者は、今は昔に比べたら乱暴なことはしませんが、それでも、厳しく取り立てられるんじゃないかと。そうすると、自己破産。しかし、自己破産というのは、イメージも良くないし、事実、世間的にも、大きなマイナスの評価ですから、そう思っている人は、多いですね。
増山どんなかたちで債務を整理すればいいのか ─ これは、弁護士の方にきちんと相談して決めるというのが、一番近道ですよね。
白川基本的に言うと、3つの方法があります。1つは、任意整理。2つ目が、自己破産。3つ目が、個人再生
自己破産から説明したほうが、いいですかね。自己破産というのは、例えば「300万の借金がある。とても、今の私の収入では返せない」と。ですから、裁判所に申し立てて、裁判官から、もうこの借金を返さなくてもいいようにしてもらいたいという手続きを、自己破産といいます。
それに対し、任意整理というのは … 300万借りたことは事実だけども、法律上返さなくてはならない額が、必ずしも300万そのものではないんですね。昔のように高い金利で借りていた場合には、高い金利の分が、元本 ─ 元金に充当されるとみなされるから、場合によったら、半分になったりする時もある。そういう風に、弁護士にやってもらうけど、法律上返す額がこれだけだと決まったら、それに金利は付けないでくださいよ、と。残りは、払うものは払います。ただ、それも、「一括で払えといっても無理だから、分割にして下さいよ」と。長期の分割で。
ところが、それでも返せないという場合があるんです。特に、最近なんかは、昔のようなグレーゾーン金利がなくなりましたから、元金は殆ど減らないんですよ。しかし、できれば破産はしたくない。例えば、「この300万・500万はとても払えないけど、まけてもらえるならば払えますよ」と。それで、裁判所に願い出て、「払う気はあるんだけど、全額は無理だ」と。しかし「払う意思があるから、裁判所からまけてもらえれば、裁判所の言う通り、きちんと払うから、そうして下さい」というのを、個人再生といいます。
この3つを使えば、どんな借金でも必ず整理はできます。いずれにしろ、弁護士に頼めば、最悪の場合自己破産を敢行してもらえれば、借金で、少なくとも、自暴自棄になったり人生が潰れたりすることはないから。
大体、債務整理というのはそんなことでしょうかね。大雑把に言えば。
増山自分にあった形で解決していく、と。
弁護士の方に相談していく、と。
債務整理で、家や車を残すということは可能なんですか?
白川色んな方法がありますが…。
まず、家ですが、住宅ローンというのは、金利が安い。しかも、長いですよね。30年とか、35年とか。額も大きいから、だから、同じ借金であることには違いないけど、住宅ローンというのは、住むために必要だし、これは、契約書通りに返す、と。
車をローンで買う人は、多いですよね。毎日使っている自動車だし、この自動車がなければ自分は生活できないから、これは、契約書通りに払う、と。
しかし、残りの借金は、弁護士に頼んで、金利を付けないようにしてもらうとか、減額する要素があったら、減額してもらうということもできますよ。
ただ、個人再生の場合で言えば ─ あるいは、破産の場合も ─ 借金があるなら、一応、全部出して下さい。
個人再生の場合は、対象にしないのは住宅ローンだけなんです。車のローンは対象にならないので、だから、一旦債務整理として、業者の方に出さなければいけないんです。少なくとも、「車をお持ちだったら、まず返して下さい」と。
残りは、また長期の分割でするなら、できますので。ですから、車は、弁護士に頼んだら、必ず取られるということはありませんから。
増山会社や家族に知られずに債務整理をすることは、可能でしょうか?
白川むしろこれは、弁護士に頼んだほうが、会社とか家族にバレることは無いと思います。
なぜかというと、殆どの人は知らないんですが、みんな、貸金業者ですよね。貸金業法には、「債務のことを弁護士に頼んだ場合は、その人に請求することも交渉することもしてはならない。すべて弁護士と話をしなくてはダメだ」とありますから。ですから、「誰々さんの債務について、私が入りましたからね」という通知が債権者の所にいきますと、業者は、本人に対して電話をすることもできないし、「どうして返してくれないんですか。返すと言ったじゃないか」ということを言っても、禁止されてますから ─ 行政処分をくらっちゃいますから。
ですから、債務整理を頼んだほうが、自宅にも会社にも電話がかかってこないということですよね。
増山債務整理をしても、仕事はそのまま続けられるんでしょうか?
白川全く関係ありません。ただ、債務整理の中でも破産の場合だけは、いくつかの業法によっては、その期間中だけはダメだということはあります。
例えば、保険の外務員さんなどは、破産の申し立てをしたら、それはできないと言われております。できないんです。それから、警備員さん。金庫だとか、ああいうのの警備も、道路上で警備するのも、免許が同じものだから、一応、そういう人たちは、そういう仕事についてはならないよ、と。
ただ、それも、破産をしたらダメだということではなくて、自己破産を申し立てて、免責が降りるまで…1年間くらいでしょうか。その1年間の間はできないんであって、法律上は、それが過ぎてしまえば、裁判所が免責ですよという風に言ったら、それもなくなるんですけど。
増山過払い金という言葉がありますよね。この過払い金ということなんですが、どういうものをいうのでしょうか?
白川これはまた、一息入れて話をします。
(CM)
増山先生、改めてよろしくお願い致します。
白川こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
増山過払い金という言葉ですけど、この過払い金というのはどういうものを言うんでしょうか。
白川5〜6年前ですね。過払い金バブル。それで、弁護士事務所も潤ったし、いっぱい過払い金を貰った人もいます。もう、過払い金が返ってくる人がいたら、ラッキーくらいです。昔は、高い金利で借りていて、それも、長期間借りていた場合に初めて、過払い金という問題が出てくるんです。写真 ラジオ放送スタジオイメージ
では、過払い金とは何かというと、利息制限法というのが昔からありまして、その利息制限法の法律を超える利息は、法律上無効。それは、無いとみなされるんです。
では、どのくらいの金利かというと、今は、この金利以外認められていません。が、かつてのやつは、もっと高いのがありますが … 10万円未満は、20%・100万未満は、18%・100万以上は、15%。「これ以上の金利は取ってはならない」という、利息制限法という法律があるんです。
そして、もう一つ。利息制限法とは別なんですが、出資法という法律がありまして、29.2以上の金利を取ると、刑事罰の対象になるんです。この、利息制限法のいう利率と、出資法のいう29.2の間の金利は、法律上は無効だけど、直ちに刑罰の対象になるわけではないですね。その差額を、昔は「グレーゾーン」と … 聞いたことありませんか?
ただし、そのグレーゾーンを払った場合は、自動的に元本に充当されるとみなされるという風になったんです、判例上。8年くらいグレーゾーンを払いきると、元金に充当されるから、ゼロになるんです。ゼロになっても、業者は28.0%か29.2%が有効だと思って取るから、そうすると、元金がなくなったのにかかわらず、まだ金利を取ってますから。そうすると、ゼロになった上にさらに払ってもらった金利が過払い金となるんです。それが、俗に言う過払い金というやつですね。
増山それは、返してもらえる?
白川もちろん、返さなければならないんですね。取ってはならない金ですから。
増山この過払い金というのは、請求に時間はかかりますか?
白川そんなにはかからないんですが、今は、法律上過払い金が出ても、それをまともに返せる業者のほうが少ないと言ったほうがいいのかな。昔は、殆どの業者が返せたんですが、結局、みんな過払い金過払い金と請求が押し寄せたので、倒産したりしたもんですから。
増山弁護士に債務整理をお願いしたら、すぐに自己破産を薦められるなんていうケースもあるようですが、良い弁護士さんの見分け方などはありますか?
白川最近の医者でいう「セカンドオピニオン」ですか。そういうのは、しょっちゅうあります。
さっき申し上げたとおり、任意整理でも、特に個人再生を使えば、殆ど、破産なんかしなくても大丈夫な人が多いんですよ。ですから、破産するかしないかというのは、その人の人生の生き方、社会的な評価にも大きく関わるわけだから、本来ならば、債務整理の3つの方法がありますよ、と。「あなたは、どの方法を一番希望されますか」というのを、3つともよく話した上で、それでも、本人が自己破産というなら別だけども。
任意整理ならこうなりますよ、個人再生ならこうなりますなんて言わないで、自己破産しかないでしょ、と。そこで初めて、事は深刻だと思って、僕のところに来る ─ セカンドオピニオンを求める人も来るんだけど、そのうち半分くらいは、個人再生の説明をすれば … 特に、「そんなことはないですよ」と説明すれば、「そっちでお願いします」という人は、多いですよ。
それで、僕は「金儲け弁護士の自己破産ビジネス」という ─ かつては、過払い金バブルというので、色んな問題を起こしたんだけど、なんでも自己破産をしてしまえばいいという弁護士が多いもんですから、警鐘の意味で、そういう本を出したんですが、これが、結構長くベストセラーで続いているんですよ。だから、今でもそういうことを言う人がいるんじゃないかな。
増山金儲け弁護士の自己破産ビジネス」という、白川勝彦先生の書いた本。この本も、参考になさって欲しいですよね。先生がこれまでに担当された案件の中では、債務整理をしたことで、新たな人生を前向きに歩き始めた方も多いんじゃないですか?
白川一番重症は、年収300万で300万の借金がある、と。大体、年収と同じくらいの借金があると、たとえ銀行から借りているのでも、大体、首が回らなくなります。しかし、自分は、できれば破産したくない。その人たちの債務整理をちゃんとしてあげることが、実は、債務整理事務所の本当の仕事だと思っているんです。
僕は、債務整理を5年前にやろうと思ったときは、貸金業法が変わって、これから高い金利はなくなるぞというのが見えた頃ですから。過払い金というのは、結果としてはありましたけど、これから過払い金がなくなる、と。
しかし、資本主義社会である以上、必ずお金を借りて返せなくなって困る人がいる、と。それが、一番大変なんです。重症なんですよね。そういう人たちを、どうやって借金の悩みから救ってあげるかというのが、今の私の一番大事な仕事だと思います。ただ、任意整理も随分やってきたんですが、昔は、大体10万払ってきたのが5万円くらいで、3年〜3年半で全部の借金が返せました。そういう卒業した人がどんどん増えているんですが ─ 卒業と言うんだけど、そういう人たちは、やっぱり大変だと思うんです。この景気が悪い中で。今までは10万払ってきたのに比べて払いは少なくなったけど、しかし、給料が減った中で5万円を払うのも大変なんだけど、やっぱり、払い終えて、これで「俺は破産もしないで、借金は解決した」という、一つの達成感みたいなのが、皆さんあるようですね。また、それが人生の自信につながるんじゃないでしょうか。
増山借金を背負って、困っている人。前向きに歩き出すためにも、弁護士の方に、債務整理の相談をされてみてはいかがでしょうか。
「白川勝彦 ラジオ法律クリニック」でした。
(CM)
白川白川勝彦の、ラジオ永田町徒然草〜!。
増山ここまでは、弁護士としての白川先生のお話を伺ってきましたが、ここでは、20年以上に渡って国会議員として活動されてきた白川先生に、現在の日本について思うこと、国会や政治について思うことを、徒然なるままに語っていただきたいと思います。
現在は弁護士として活躍をされている白川先生ですが、実は、ウェブサイトでは、「永田町徒然草」というタイトルで、現在の日本や政治について、語られているんですよね?
白川私のウェブサイトを立ち上げたのが、1999年の12月なんですけど … 当時としては、早かったほうかな … 別に早くもないんですけどね。
ただし、ウェブサイトを通じて発信してきたという意味では、政治家の中でもかなりトップの方でしょうね。
現職の時は、色々と自分の意見を申し上げられるときもあるんですが、落選したり、その後色々なことがありまして … そうなったら、一番費用がかからなくて自分の政治的な考えが発信できるのは、ウェブサイトなんですよね。
結構長くやってきたんですけど、その中で一番メインの売りが「永田町徒然草」という、僕の政治的なエッセイといいますか、それなんですね。一時期は、毎日のように書いた時もありましたし。最近は … 僕の本業は弁護士ですから、最近では、週に一回は書くようにしているんですが … 先週が1536回目かな、ナンバーで言うと。これ、一冊の本にしたら、膨大な厚い本になると思います。
増山たくさんの方が、ご覧になっているんですね。
今日は、この番組を通じまして、白川先生に、現在の日本について思うこと、政治について思うことを、ラジオをお聞きの皆さんに伝えて頂きたいと思うんですが。
現職の国会議員だった時代と今の永田町と、随分変わったでしょうね。
白川イラスト「あちゃ〜、なんとお粗末な…」僕らの時代も、そんなに立派だったというつもりはないんですけど、今でも、テレビだとかラジオでお目にかかる人というのは、その中でもアクティブな人でしょう。
しかし、それにしても、僕も同じようにテレビだとかラジオには出た方なんですが、それにしては、ちょっとお粗末じゃないかというか、耐える力がないですね。
増山そう感じますか。
白川そういう感じがします。本当に政治は何を語り、何をすることが政治なんですかということが、僕の考えなのか、僕らの時代と違うというのか、そういう気がします。
増山そうですか。今の日本は、景気も悪くて、なんとなく低迷している印象を持つ人が多いようですが、白川先生から見て、どんな感じですか?
白川僕は、日本の景気はしばらく良くならないと思います。
もし、景気を良くしたいと思うならば、政府自身が本気で、景気をよくするために努力をしなくてはいけないです。今、だから、そのためにこういう努力をしていますという姿が見えないです。神様が、どこかで景気を良くしてくれるなんて期待したって、良くならないです。
増山それは、そうですね。明るく前向きな日本に変わって行くには、どんなことが必要だと思われますか?
白川人任せにしないことでしょうね。やはり、こういう世の中だけども、自分で出来ることがあったら、自分は少なくとも努力する、と。人のせいにはしないということが、大切なんじゃないのかなという気持ちはあります。
増山自分に出来ることは、自分で努力する。
白川その全体の積み重ねが、世の中を変えてくると思うんです。
増山これは、私たちも、ものすごく耳が痛いというか、しなくてはいけないことですね。
白川特に政治は、誰がやっても同じだという考えは、やめたほうがいいですね。
増山分かりました。貴重なお話ありがとうございました。私たちも、これからの日本について、いろいろと考えていかなくてはいけないな、と思いました。
以上、白川勝彦のラジオ永田町徒然草でした。
白川お送りしてきました、「白川勝彦の前向きライフ」。そろそろ、お別れの時間となりました。
増山1時間に渡りまして、色々なお話を伺ってきましたけど、白川先生、いかがでしたか?
白川政治家ですから、喋るのが好きなもんですから、色々勝手なことを喋らせてもらいましたけど、果たして、聞いている方にとってどうだったのかな。と。それが、心配です。
増山ぜひ、ラジオをお聞きの方からも、ご意見・ご感想・ご質問やご相談にも、先生にはお答え頂きたいと思っていますので、メールお待ちしています。白川先生に聞きたいこと、プライベートな質問、法律相談など、どんな内容でも結構ですので、メールでお寄せ下さい。 「白川勝彦の前向きライフ」。次回の放送は、12月23日の予定です。
白川白川勝彦の前向きライフ。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。ここまでの相手は、白川勝彦と。
増山ニッポン放送の、増山さやかでした。

増山さやか氏 = ニッポン放送アナウンサー (文中敬称略) | TOP[t] | 第2回

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