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FORUM21 2008年8月1日 通巻151号
特集 矢野元公明党委員長国会招致問題
政教分離の黒白をつける矢野絢也氏の証人喚問
白川 勝彦 (元衆議院議員・弁護士)
悪口雑言の羅列
創価学会が竹人義勝元公明党委員長を激しく攻撃していることは知っていた。キッカケは1998年(平成10年)朝日新聞に掲載された『55年体制回顧録』であるという。当時私は衆議院議員であり、公明党・創価学会の政教分離に疑問を呈する政治集団の中心にいた。竹入氏の『回顧録』はそれほど重要なことを書いていると思われず、失礼だが現物そのものを読んだことはない。
竹入氏が『回顧録』で指摘していたことは、概括的であり抽象的だった。私たちが知りたいのは具体的な事実なのである。公明党の人事権を創価学会がすべて持っていたとするならば、どのように行使してきたかを具体的に知りたいのである。公明党が創価学会に事実上支配されていることなど、多くの人がそう思っている。
創価学会が竹入氏に続いて矢野絢也元公明党委員長に対しても激しく攻撃を始めたことは、それとなく聞いていた。しかし、創価学会が矢野氏をどのように激しく攻撃しているのか、『聖教新聞』等を取り寄せて見るほどの関心は私になかった。私も『聖教新聞』等で激しく攻撃されたことがあるが、“悪口雑言”の羅列であり、矢野氏への攻撃もその類なのだろうと思ったからである。
自公連立に反対しなかった連中たち
政党や政治家同士が批判し合うことはある。だが、それは悪口雑言を浴びせ合うことではない。政治に関わることを事実に基づいて指摘し、是非を明らかにしようとする政治的な戦いなのである。
一般の人々からみれば、矢野氏は創価学会側の人間である。公明党と創価学会の関係は不即不離の関係にあると多くの人々は思っている。矢野氏は公明党の書記長・委員長を長く務めた人である。不仲になったとしても、“内輪揉め”と思っても仕方ない。
今年6月に民主党などの有志議員が矢野氏を呼んで集会をもったことは報道等で知っていた。平成5年自民党が野に下った時、公明党が細川連立内閣の与党であった頃、島村宜仲衆議院議員などが呼び掛け人となり「民主政治を考える会」が結成された。亀井静香氏が立ち上げた「憲法20条を考える会」もその頃結成された。そこには多くの自民党議員が名を連ねた。
山崎正友元創価学会顧問弁護士・藤旅行正元公明党都議会議員などの話を、私が初めて聴いたのはそうした勉強会だった。そうした勉強会の中心的メンバーだった人々は自民党と公明党が連立を組もうとしたとき、反対してくれなかった。いまは、自公“合体”政権で唯々諾々としている。矢野氏を招いて前記集会が聞かれたと聞いた時、こうした勉強会のことを思い出した(苦笑)。
人命を脅す矢野氏の基本的人権の侵害
『文蘇春秋』(2008年8月号)に掲載されている矢野氏の手記を私は何度も読んだ。全部で12ページである。興味深いことがいろいろと書かかれている。私はふたつの点を注目した。
ひとつは、矢野氏が経験した基本的人権の侵害である。創価学会が矢野氏に対して行った人権蹊躍の行為である。私は次の特に重要な3点に注目する。
- 矢野氏は、平成17年5月14日夜戸田記念国際会館において、創価学会青年部幹部ら5名に取り囲まれ、査問会同然の吊るし上げにより、彼らが予め用意していた文書に署名させられ、政治評論家としての活動をやめることを約束させられた。その際、谷川佳樹総東京長は、「人命に関わるかもしれない」「息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもいいのか」などと言って矢野氏を畏怖させた。
- 黒柳明元公明党参議院議員外2名は、平成17年5月15日深夜矢野氏宅において、彼らの求めに従わなければ何をされるか分からないという異常に切迫した表情で畏怖し、矢野氏の30年余の重要な政治活動に関する記載がある100冊近くの手帳を持ち去った。
- 平成17年4月頃から、身元不詳の多人数グループが班編成で交代しながら、矢野氏の自宅近くに監視カメラを設置するなどして監視し、矢野氏や矢野夫人・秘書などが外出する際、4、5台の車両と10名前後の人物が執拗に尾行などする威迫行為を継続している。彼らは地下鉄のホームで矢野氏の真後ろに立ったり、車で十字路に突っ込んできて急ブレーキを踏むなど、矢野氏に身の危険を感じさせる行為を度重ねて行った。
限界を超えた人権蹂躙
これらは矢野氏が直接受けた人権蹂躙行為である。矢野氏は当時創価学会員であった。妻その娘3人が創価学会を退会したのは平成20年5月1日であった。組織には構成員に対する一定の統制権があることは否定しないが、自ずから限界がある。政治活動の自由を制限したり、生命の危機を仄めかすようなことは、いかなる組織といえども許されない。
公明党の支持母体といわれている創価学会が、何人に対してであれ基本的人権を侵害することは、政治的に重大な事実である。黒白を明らかにしなければならない。矢野氏は一党の委員長まで務めた政治家である。その人が生命の危機を覚えたというのであるから、よくよくのことがあったのだろう。虚偽の事実をいったとしたら、矢野氏の政治的名誉は失われる。裁判とは別に、国会における証言で事実を明らかにする必要がある。
創価学会首脳が暗殺計画を企図
もうひとつは、公明党の元書記長・委員長として矢野氏が目撃・関与した創価学会と公明党の関係である。公明党が創価学会のためにどのようなことを行ってきたか、これは政教分離の上からも重要なことである。
「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」で、政党本部周辺は静穏を保持するための規制がある。拡声器などの使用が規制されている。公明党の国会議員が新進党に全員移籍すると公明党本部は静穏地域でなくなる。そうなると創価学会本部がある地域が静穏保持地域でなくなるため、参議院議員だけで「公明」という政党を作ったのだと矢野氏は書いている。事実だとすれば、現代史の第一級の証言である。
また創価学会首脳が第三者を使い藤原行正元公明党都議の暗殺計画を立てていることを知った藤井富雄公明党都議会幹事長の依頼で、これを止めるように矢野氏が秋谷創価学会会長に要請した、と矢野氏は書いている。事は暗殺である。ぞっとする話であった。創価学会首脳とは一体誰なのか。この事実関係はどうしても明らかにしてもらわなければならない。
矢野氏は公明党の政治史そのもの
1970年(昭和45年)の言論出版妨害事件の際、池田大作創価学会会長の証人喚問を阻止するために心血を注いで防戦したこと、国税庁の創価学会に対する2度の税務調査の処理、創価学会の反社会的行動や政教一致体質などについて、公明党の書記長・委員長として体験・目撃したことを具体的に証言してもらいたい。
公明党と創価学会の関係は、公明党の政界進出の当初から多くの国民は胡散臭く感じてきた。自公X口体〃政権で公明党は与党となっている。国家権力を行使している。多くの国民が嫌悪感をもっている。創価学会に恐怖感さえ抱く人も増えている。
竹人氏と矢野氏は、公明党の政治史そのものである。政教分離の問題を考える上で重要な事実を知っている。矢野氏は“腹をくくって、妨害に屈すること”なく、“国会から参考人や証人として呼ばれたら、喜んで出席”するとのべている。民主政治の確立のため、国会は矢野氏を証人としてどうしても召致しなければならない。