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FORUM21 2007年12月1日 通巻139号
特集 自民・民主大連立 驚愕した創価学会
大連立構想の真の原因 ─ 追い詰められている自公“合体"政権
白川 勝彦 (元衆議院議員・弁護士)
一連の“騒動"で吹っ飛んだ議論
2007年9月は安倍首相辞任騒動で、10月は福田首相誕生に伴う顔見世興行でわが国の政治は費やされた。そして11月は大連立騒動でわが国の政治がふり回された。肝心の新テロ対策特別措置法案に関する迫真の論戦は行われなかった。インド洋における給油活動をどうするかという問題は、わが国の外交防衛政策を論じる上ではきわめて重要な問題なのである。
インド洋における給油活動を停止することはわが国の外交防衛政策の基本を変更することになる。日米同盟とは何か。自衛隊の海外派遣は、どのような場合に許されるのかという憲法問題。国際的テロ集団に対する“テロ戦争"などということは、軍事的概念としてそもそも許容されるのか。こういうことを真正面から議論する必要のある重要な問題なのである。
アメリカの自衛戦争に加担する必要性!?
11月1日で廃止されたテロ対策特別措置法は、9・11同時多発テロから日時があまり経っていなかったために、このような問題が十分に議論されることなく、アフガン戦争に対する支援・協力として小泉内閣時代に制定された。アメリカは、アフガン戦争を自衛戦争とハッキリと謳っていた。
テロを撲滅にわが国が協力することはあり得ても、アメリカの自衛戦争にわが国が加担することは、日米安保条約でわが国の義務と定められていない。アメリカが自衛戦争を行うことは仕方ないが、その自衛戦争に自衛隊を派遣することは慎重でなければならない。
国連憲章よりも日米安保条約よりも、憲法の規定は重いからである。そして、自公“合体"政権がいうほど軍事的貢献は国際的には高く評価されていない。それはアメリカの軍事行動に対する評価をみれば、わが国は軍事的貢献を憲法の制約でできないと主張しても、国際的に非難されることなどまったく懸念する必要はない。
“分"を弁える美学のない二人の老人
小沢民主党代表に大連立構想をもち掛けたのはいったい誰だったのだろうか。渡邉恒雄読売新聞社代表取締役会長・主筆であることは、いまや公知の事実である。報道機関の代表が、現実の政治に介入することを多くの国民が非難している。俗にいえば、“行司が回しを締めて土俵にあがる"というものである。それは、現実政治に介入している創価学会名誉会長に対する嫌悪感と同じようなものである。
わが国民は“分(ぶ)"を弁えることを非常に大切にする。この二人の老人には“分を弁える"という美学など昔からまったくない。この二人の老人は、いまや自公“合体"政権の最高顧問・オーナー気取りなのである。自公“合体"政権の与党議員は、この二人の老人に恐れおののいている。
責められるべきは、福田首相
しかし、渡邉氏はやはり行司でしかない。大連立構想を政治的に仕掛けたのは、やはり福田首相その人なのである。小沢民主党代表が大連立構想の具体的内容を語り始めたが、まだ全容が明らかになった訳ではない。福田首相は言を左右しているが、大連立構想を仕掛けた者としてその具体的内容を語る責任がある。
大連立騒動を論じる者は、こうした福田首相の姿勢を責めなければならない。また大連立構想の内容や福田首相と小沢民主党代表との間で具体的に合意された内容を踏まえずに小沢民主党代表を一方的に非難・批判することは、政治を専門とする者としてはおかしいと思う。もっとも最初から小沢民主党代表や民主党をこの件で攻撃しようという意図的な論評があることはいうまでもない。
国民はなぜ大連立に反対なのか。
各報道機関定例の世論調査や大連立騒動による世論の変化をみるための世論調査の結果が発表されている。その調査結果は、各社によってバラバラのようである。質問の仕方や実施時間帯によって調査結果が異なることはやむを得ない。
報道各社の世論調査の結果に共通していることがひとつだけある。それは圧倒的多数の国民が大連立に反対と答えていることである。大連立に反対という意見は、賛成もしくは評価するという意見の倍以上あることである。このことは何を意味しているのだろうか。そのことを正しく捉えないと、大連立騒動や“ねじれ"国会に対する評価を誤ることになる。
多くの国民が大連立構想に反対していることは、現在の政治状況を自然に受けとめ、大連立してまでこれを解消する必要はないと考えていることを意味する。現在の状況とは、いわゆる“ねじれ"国会のことであり、当面の新テロ特措法案が膠着状態になっていることである。国民は、現在の政治状況を国益が損なわれれているとは考えていないのである。
“国益"を口にする政治家にはご用心
そもそも“国益が損なわれる"とは、国民の65〜75%がそのように考える問題が生じたときに使う言葉なのである。国益という言葉を安易にもち出す政治家はあまり信用しない方がいい。それは、公共の利益を理由として国民の基本的人権を制限しようとする政治家と相通じるものがある。
彼らが壮士ぶって国益などと叫ばなくても、そうしたときは大連立を求める声が国民の間から自然に出てくるものなのである。そういうときしか大連立など成立しないし、またそういうときでなければ大連立などやってはならないのである。
自公“合体"政権は、新テロ特措法案が成立しなければ“国益が損なわれる"と盛んに喧伝している。福田首相は、ブッシュ大統領の“お言葉"をわざわざアメリカまで貰いに行った始末である。ブッシュ大統領から望みどおりの“お言葉"を貰えたが、そのブッシュ大統領がアメリカ国民からも信用されていないのだからわが国の国民がこれを信用する筈がない。
卑しさの裏返しとしての傲慢
国民は、外交防衛は厳粛にして神聖な国政であると考えている。またそうでなければならない。まさに“国益"のかかった厳粛にして神聖な国政なのである。
守屋前防衛事務次官や歴代防衛大臣の納入業者とのドロドロとした爛れた関係が暴露されつつある。このような防衛利権疑惑を抱えている防衛当局者のいうことを誰が信用するというのか。いくら真剣にインド洋における給油の必要性を説いてみたところで、3分の2もしくは4分の3の国民が賛成する筈がない。こんなことが分からないようでは、政治音痴といわれても仕方ない。
自公“合体"体制は、国民など力で押さえ付けられると思っている。国民は力のある者(=権力者)に弱いと思っている。自公“合体"体制は、権力を握るためならばどのような卑しいことでも許されると思っている。その裏返しがこのような傲慢となるのである。
政治音痴にこの国は任せられない。
だが、国民を舐めてはならない。ほとんどの国民は利権などを求めず、自力で生きているのである。自由主義社会とは、そのような生き方をする国民に支えられ、政府の役割はそのような国民をエンカレッジすることなのである。
創価学会党化した自民党は、この単純なことが分からなくなったようである。自公“合体"政権に媚び諂う人たちを見ていて、国民すべてがそうだと勘違いしている。彼らには、参議院選挙の本当の敗因がまだ分かっていないのである。こんな自公“合体"体制に、わが国の政治を任せておく訳にはいかない。
大連立の件に関し、反自公“合体"派は、小沢民主党代表や民主党を非難するのはほどほとにしていた方が良い。誰にも間違いはあるものである。政治は、未遂犯を罰してはならない。大切なことは戦列を乱さないことである。戦線を強化することである。