小沢問題の本質(その2)
09年03月11日
No.
<永田町徒然草No.1106からつづく>昨日、小沢問題の当事者である小沢民主党代表が1週間ぶりに記者会見をした。全部をライブで見た訳ではないので正確なことは言えないが、先週の記者会見とはだいぶトーンが違っていたようである。検察批判をかなり控えていた。たぶん多くの人たちがアドバイスをしたのだろう。あまり検察批判をするのは不味いと……。
戦術的には、確かに小沢氏自らがあまり検察批判の前面に立たない方が良いだろう。しかし、小沢問題の本質は、“検察や警察を使って政敵を追い落す”という卑劣な行為なのである。昨日も現に“関係者によれば”といって、酷い内容のリーク情報がマスコミを通じて流されていたではないか。自公“合体”体制の卑劣な行為は止むことなく現在進行中なのである。検察の卑劣な行為を批判しなければ、そもそも闘いにはならない。
戦略的には、検察批判をしなければ勝負にならないであろう。それはそうだろう。小沢問題の本質は、“検察や警察を使って政敵を追い落す”という卑劣な行為なのであるから。このことを率直に言えば、国民は小沢問題の本質を理解するであろう。問題は、誰がその役割を果たすのかだ。そんなことは決まっている。民主党全体が一丸となって行うしかない。民主党が一致結束して行わなければならないのは、このことなのである。
小沢問題については、いつも多弁な民主党の面々がなぜか寡黙である。喋ったとしてもその言い分が稚拙である。自らを“東北生まれで口下手”と称す小沢氏が、検察当局と懸命に闘っている。民主党には口八丁手八丁の面々が多くいる筈なのだが、やられ放しではないか。やはり自らに累が及ぶことを恐れているからなのか。それとも何か別のことを考えているからなのか。あるいは小沢問題の本質が分かっていないからなのか。そうだとすると道路特定財源の時のように、最後は腰砕けになる。私はそのことを危惧している。
それでは、また。