いよいよ国会が始まる
07年01月26日
No.317
昨日はほぼ1日中コンピュータと格闘していた。昨日書いたように「即写寸言」を自分でupdateできるようになるために覚悟して向かった。案の定、困難を極めたがWebマスターの逐一の指導を得て、何とかできるようになった気がする。何とかできるようになった気がする。しかし本当に大丈夫かというと自信はない。習うより慣れろでやっていくしかない。これからは更新の回数が増えると思うのでお付き合いを願いたい。ところでいよいよ平成19年の通常国会が昨日召集された。いつまでもコンピュータと格闘をしている訳にもゆかない。
私が国会議員だったころ、通常国会の召集はうれしかった。私の新年は街宣車による選挙区周りから始まった。4日間は新年街宣をした。これは昭和51年(1976年)から平成12年(2000年)までの25年間1度も欠かしたことはなかった(昭和天皇がご病気のときどうしたか記憶がない)。それをつらいと思ったことはなかった。だが大変なのはそれから始まる新年会であった。私は酒がほとんど飲めない。だからお酒の出る新年会の連続はキツかった。かつては通常国会は12月に召集された。予算編成が終ると休会となり、1月の下旬に再開された。通常国会が再開されると酒びたしの新年会から解放されるのがうれしかった。細川内閣のとき、確か1月6日か7日に再開されたことがあるにはあったが、この長い国会が命取りになった。
通常国会の最大の課題は、予算案の審議であった。かつては予算を編成することもこれを国会で通過させることも大仕事であった。予算案の編成は年末ギリギリまでやっていた。12月30日くらいまでかかることもあった。平成になり、12月23日が天皇誕生日で祝日になった関係で、予算は25日ころ何となく決まってしまうようになった。これはあまり良くないと私は思っている。予算案を審議する予算委員会は国会の花形委員会であり、野党は全精力を傾けてこれに臨んできた。すべての大臣が出席する総括質問もいまよりはるかにたっぷりと日数がとられていた。私が自治大臣・国家公安委員長だった平成9年(1997年)でも、衆議院だけでも2週間以上予算委員会に毎日座らされたと記憶している。これは難行苦行であった。
予算委員会は国政のあらゆることが議題となる。疑惑追及も主たる舞台は予算委員会であった。予算と政治疑惑は関係ないだろうという素朴な疑問をもつ国民もけっこう多い。しかし予算案の否決や遅れは内閣の政治責任が問われることになるから、政府を追及する野党としては予算案を人質にとって内閣の政治責任を追及することは政治の世界ではやむを得ない。実際問題として総理大臣の首を出して(内閣総辞職)予算を通したこともある。予算案とはそのように重いものである。最近は野党も物分りが良くなって、ほとんど年度内に予算が成立しているがそれほど褒められたことではないと私は思っている。政治の緊張感の欠如だ。
参議院選挙のある年の通常国会は、特に緊迫感があった。通常国会の審議が国会終了後に行われる参議院選挙に直接影響するからである。平成元年(1989年)と同10年(1998年)の参議院選挙で、自民党は壊滅的敗北を喫している。平成元年の敗北の原因は、消費税(当時は売上税といた)であることは疑いない。平成10年の大敗北を当時の自民党はほとんど予想していなかった。平成8年に行われた小選挙区制の下における衆議院選挙で自民党はほぼ過半数を獲得し、前年12月に最大野党の新進党も解党した。そのため自民党に鞍替えする議員も相当あったため、過半数をかなり超える議席を自民党は衆議院でもっていた。平成10年の敗北の原因は、ここからくる驕りと国民に対する負担増であろう。
いま自公政権は衆議院で3分の2を超える化け物みたいな議席をもっている。やろうと思えば何でもやれる。そしてこの通常国会でかなりいかがわしい法案を通そうとしている。いまの議席数からいったら通すことは通せるだろう。しかし、国民はこれを何となく胡散(うさん)臭いと感じている。それが安倍内閣の支持率の急落となっているのだと私は思う。昭和61年(1986年)の衆参ダブル選挙で「私は売上税をやりません。この中曽根の顔が嘘をいう顔に見えますか」といって大勝し、その後売上税導入をいい出した中曽根内閣当時と二重写しである。
野党はひるんではならない。国会対策的には手も足も出ない状況だが、自公の衆議院の3分の2を超える議席など詐欺的手段で詐取した議席に過ぎないと高をくくってかかればいいのだ。詐欺的手段とは、国民投票制度などないわが国において郵政民営化法案に賛成ならば自民党に投票してくれといって掻き集めた議席だからだ。郵政法案に反対だといって当選した議員をまた自民党に復党させたではないか。自分のいったことをすぐ反故にするのは、詐欺師の常套手段だ。郵政民営化法案賛成で掻き集めた頭数で、何でもやっちゃえという乱暴で卑劣な手法だ。だから野党は遠慮などまったく必要ないのだ。議席数ではどうにもならないが徹底的に戦わなければならない。国民はちゃんと見ている。そこから野党に勝機が生れる。具体論はその都度書く。だから今日はこれくらいにしておこう。
それでは、また。