狂騒劇が始まった。
08年09月04日
No.920
福田首相は自分のために、自民党のために、自公“合体”体制のために、辞任したのである。最初から福田首相の顔で解散・総選挙をやれないことなど分かり切っていたことだ。そんなことが分からないようでは政治を評論する資格などない。だから、今度の総裁選は、自民党の、自民党による、自民党のための総裁選なのである。
だから私は、この総裁選の意義や課題など語るつもりは一切ない。批判あるのみである。誰かがそのことを徹底的に言わない限り、国民は騙されることになる。失礼だが、わが国の有権者はこの手の騙しに弱いのである。長い政治生活の中で、私は何度も煮え湯を呑まされてきた。自民党単独政権の時代と自公“合体”政権の現在の違いは、体制側がマスコミをシッカリと押さえていることである。このことを指摘しておかないと必ずおかしい結果になる。
自公“合体”体制は、福田首相の顔で解散・総選挙をやるつもりなど最初からなかった。そして今回の総選挙は、麻生太郎氏を自民党総裁に選出するセレモニーでしかない。こんなことをさも重大なことのように報道する必要は本来ないのだ。誰が立候補しようが、結果を本気で動かすつもりなど毛頭ないのだ。だから、三文芝居であり、崖っぷちの自公“合体”体制の狂想劇にすぎないのである。この大局観が必要なのである。
こういう観点から今回の総裁選をみれば、話は簡単であり、見どころも沢山ある。本当の見どころは、誰が総裁になるかなどということではなく、この局面で誰がどういう発言をし、誰がどのような行動をするかにある。いろいろな人物の本性と本質が現われてくる。本当に見るべき点は、このことなのである。国民の反応や行動もこの際ハッキリいって問われることになる。よく見ておいた方が好い。
それでは、また。