幽霊の後は、化け物が・・・
08年09月03日
No.919
幽霊のような福田首相だった。私はこの人の顔をみる度に不快になった。だから、この人の顔を見なくてもよくなるのだから、退陣は歓迎する。テレビをみていると同じような意見の人が多いようであるが、幽霊が消える前にハッキリと憶えておかなければならないことを指摘しておこう。幽霊の後は、化け物が出てきそうである。幽霊や化け物は、夏にでてくると聞いていたが・・・・・。
福田首相の大罪の筆頭は、衆議院で3回の再可決で悪政を強行したことである。インド洋における給油法(新テロ特措法)、道路特定財源の暫定税率の復活、道路特定財源に関する特別法の3回である。いずれも国民の3分の2近くが反対していることを平然と無視して強行したのである。非民主的であり、ファッショ的でさえあった。なにが“国民の目線”だ!! このことを国民は絶対に忘れてはならない。
次の大罪は、政治を“私(わたくし)”したことである。安倍首相辞任の後に、急にふあっと総裁選に出馬し、総選挙を前に駄々をこねるように不可解な辞職をした。福田康夫氏が総裁選に立候補をした理由は、「森喜郎・小泉純一郎・安倍晋三の3人が首相をやれたのだから、派閥の創始者の息子である私がやってもおかしくもないだろう」という程度のものだったのであろう。そして親父がやれなかったサミットもやれたのだから、もうそろそろ辞めても好いだろうという程度の気分で退陣したのだろう。
“駄々っ子”のような気持ちで総理大臣になった人も問題だが、そんな人物を首相に選出した自公“合体”体制そのものを批判しなければならない。公明党の軋轢を必要以上に強調する人がいるが、来年夏の都議選を理由に国政を左右しようという公明党も“駄々っ子”のようなものである。福田首相の辞任について、いろんな人が様々のことを言っているが、自公“合体”体制は国家権力を“私”している輩の集まりなのである。その輩が馬鹿騒ぎをして新しい首相を産み出そうとしている。鬼もでるし蛇もでる。化け物が出ても不思議ではない。
それでは、また。