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兵どもが夢の跡!?

08年08月25日

No.910

北京オリンピックが無事に閉幕した。開会式を観ることができなかったので、閉会式は全部観ることにした。まぁ、若干の意見がない訳ではないが、北京オリンピックの成功を心からお祝いする。北京オリンピックを成功に導いた人たちにとって、それはゴールであった。しかし、中国の若い人たちにとっては、北京オリンピックが出発点になる。東京オリンピックもそうであった

アジアでオリンピックが開催されたのは、東京・ソウル・北京である。次に開催されるアジアの都市はどこになるのだろうか。2016年のオリンピックを東京に誘致しようというCMがオリンピック中継の間に流されていたが、私にはちょっと興醒めであった。私は東京オリンピックのメーンスタジアムの中央門前を知っているからである。しつこい様だが、左の写真を見て欲しい。これがアジアで初めて開催された東京オリンピックの正門の姿なのである。

これまでも白川サイトでこの事を何度か書いた(永田町徒然草No.895“倦まず弛まず”を参照)。その時の写真には人物は写っていなかった。この所を通りかかった時、人がいたので再び撮影した。大人と子供連れであった。大人たちが東京オリンピックのことを子供たちにどのように話したのだろうかと思った。この草叢の中で“あの東京オリンピックの感動を再び”といっても虚しいであろう。

東京オリンピックの開催は、日本人にとって大きな感動だった。敗戦から僅か20年足らずでオリンピックを開催できるところまで漕ぎつけたことは、感無量なるものがあったと思う。東京オリンピックは日本人にとって大きな誇りであったと同時にアジアの人々にとっても誇りであったと思う。東京オリンピックを開催した日本は、その後“世界の奇跡”と言われた復興と経済的成長を成し遂げた。ソウル・オリンピックや北京オリンピックの誘致のひとつの誘因となったのではないか。東京オリンピックは、そのようなオリンピックだったのだ。

夏、散歩でこの所を通る度に芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出さざるを得ない。東京オリンピックは決して“兵どもの夢”ではなかった。日本人とアジアの人々に夢を与えたビッグイベントだった。問題はこれを受け継いでいる人たちにあるのだ。このような状況を放置していながら、再び東京にオリンピックを誘致しようとしている輩なのである。2012年のオリンピックはロンドンで開催される。3度目の開催だという。だから東京が2回目のオリンピックを開催してもおかしくないだろうという“驕り”が私は気に入らないのだ

2016年のオリンピックを東京に誘致しようという人たちには、要するに“温故知新の精神”が欠如しているのだと思う。そして謙虚さも欠けているのだ。東京オリンピックを誘致し、成功させた先人に想いを寄せることなくオリンピックを再び東京に誘致しても、長い目でみると“兵どもが夢の跡”を残すだけになると私は思う。私は東京オリンピックの誘致に反対しないが、こういうところを改めない限り賛成できない。温故知新も謙虚さも、日本人の美徳であった筈だ

それでは、また。

  • 08年08月25日 12時33分AM 掲載
  • 分類: 2.国内政治

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