総合的物価対策!?
08年08月06日
No.892
鳴り物入りの“改造”であったが、結局大したインパクトを与えることはできなかった。テレビ新聞をみていたも、お付合い程度の扱いはされているがマスコミもあまり乗り気ではないようである。党や内閣の“改造”をした場合、テレビや新聞で1週間以上、週刊誌や雑誌などで1ヶ月以上報道されなければ、“改造”はその目的を果たすことができない。
福田首相や自公“合体”政権は、改造を“反転攻勢”の手掛かりにしたかったのであろう。とてもそんな状態ではない。内閣支持率は少し上がったようである。しかし、そんなことは当り前である。“改造”を行えば、マスコミは報道せざるを得ない。政治広報の用語でいえば、“露出”が増えるのである。“露出”が増えれば支持率は基本的に上がるのである。報道されているような支持率の上昇は、“改造”を行ったことによる露出増大に伴うものであり、それ以上のものではないようである。その効果は“改造”直後の間の一時的なものにしかならないであろう。
“改造”がその効果を上げるためには、新しく起用された党役員や大臣が職務を通じて国民の期待に応えることを実行しなければならない。今回の“改造”で顔ぶれはかなり変わった。しかし、新しく起用された党役員や大臣で新機軸を打ち出せるような人物はいない。そもそも留任させた大臣だけをみても、福田首相が打ち出したい機軸が分からない。舛添厚生労働大臣を高く買っているようだが、彼はマスコミ慣れしているだけで新機軸を打ち出した訳ではない。口先三寸で年金や後期高齢者医療制度の問題を誤魔化すことなど無理である。福田首相や舛添厚生労働大臣は、この“政治の根本”が分かっていないのである。
経済や税制に関する実力を買われ入閣した与謝野馨氏だが、彼はもともと経済や税制など詳しくない。所詮どこまでいっても“与謝野晶子の孫”でしかないのだ。与謝野晶子が鉄幹を超えていまなおその名を保っているのは、その熱き心と思想性なのである。与謝野馨氏には晶子の心や思想性など微塵もない。小手先が器用な政治家に過ぎない。福田首相は与謝野馨氏を呼んで、物価対策を取り纏めるように指示した。与謝野氏は「お盆までには総合的な対策を出したい」といっている。“総合的な対策”とは、官僚が好んで使う慣用語である。いろいろなことを羅列しているが、これまでやってきたことを掻き集め言葉を少し変えるだけなのだ。
自由主義経済の下で、物価について政府ができることなど限られている。政府が物価を自由に操作できるとしたら、それは自由主義経済の否定なのである。ましてや物価高騰の原因が対外的要因のよる場合、政府のできることはきわめて限定的である。政府ができることは、政府が物価上昇に繋がるようなことを行わないことである。現在の自由主義経済体制では、政府部門も大きな経済的存在なのである。政府部門として歯を食い縛ってでも物価上昇に繋がるようなことを自ら行わないことである。政府の都合でガソリン税などの暫定税率を復活したことは、いちばん行ってはならないことなのである。
愚にもつかない“総合的物価対策”を打ち出すより、道路特定財源の暫定税率を直ちに廃止することである。ガソリンの価格がそれだけで25円確実に下落する。その恩恵はもっとも公平な形で国民に齎される。総合的物価対策などでは、不公平かつ政治的思惑の“対策”となる。これが必要だという対策(一利)など、人によってとかく意見が分かれるものである。そんな一利を行うことより、皆が駄目だということを止める方がはるかに懸命なのである。「一利を興すは、一害を除くに若かず」なのだ。ぼんくら政治家や官僚が考える総合的対策(一利)など、害の上に害を重ねるだけなのだ。まぁ、見ていてご覧。
それでは、また。