能天気な政治家は・・・!?
08年07月24日
No.879
昨夜、事務所を出たのは午後8時ちょっと前だった。猛暑日だった筈だが、意外に爽やかな風が流れていた。私は東京メトロ・虎ノ門駅まで歩いた。心地良い散歩であった。昼食は近くで買った弁当を食べただけだった。途中のそば屋の表に、「アジフライ定食800円」の貼り紙があった。お腹が空いていたので、そこに入った。美味しかった。
東京メトロは、駅も車内も冷房が利いている。だから通勤は別荘地にいるようなものである。私はそう考えることにしている。家に帰ってシャワーを浴びると1日の暑さなど忘れてしまう。開けた窓から少しは涼しい風が流れてくる。暑い暑いという前に、このような“涼(りょう)―涼しさ”を楽しみたいものである。9時のNHKニュース、『報道ステーション』、『ニュース23』とみた。明るいニュースはほとんどない。暗いニュースばかりといってよい。
私は犯罪の原因を社会的背景や社会的問題に求めることを好まない。犯罪はあくまでも犯罪であって、社会や政治にその原因があったとしても責任が阻却される訳ではない。こういうことをしたり顔で社会派ぶって言っても無意味なのである。犯罪者にとっても慰めにもならない。犯罪の少ない社会は、それ自体が公共の福祉なのである。自らの勝手気儘で、他の人の人権や幸福追求の権利を侵すことはできないのだ。
しかし、権力者や政治家は犯罪について深い洞察が必要である。犯罪についても責任を感じなければならない。天変地異にも責任を感じなければいけないと私は教わった。それが政治家というものである。こういう目でみると、わが国はもう末期症状である。末世的状況である。その責任は、すべて自公“合体”政権にある。だが、自民党や公明党の政治家には、その自覚も覚悟もないようである。こういう政治家は“能天気”なのだろう。その代表が福田首相である。私はあの能天気で慇懃無礼な顔を見るだけで不快になる。
政治家がその責任を果たさないことは、犯罪的である。多くの国民を苦しめることになるからである。だからといって、政治家が全能である訳ではない。そんなことを求めている訳ではない。一害を除くことに全力を尽くす能力があればよいのだ。“一害”とは、国民がこれだけは止めて欲しいと思っていることだ。それはそんなに難しいことではない筈だ。それもできないくらいなら、残る道はただひとつ、政治家を辞めることである。それができない政治家は、選挙で落とすしかない。国民もそろそろ腹を決めなければならない。その秋(とき)は、日々迫っている。
それでは、また。