雲従龍
08年01月02日
No.664
「書き初め」は、古来から2日の風習であった。私はいま硯も筆ももっていない。従って書き初めをしたくてもできない。もし書き初めをするとしたならば「雲従龍」と書くだろう。国会議員のころ、どうしてもと色紙を頼まれることも多かった。私がもっとも多く書いた色紙は、「雲従龍」であった。この意味は意外に知られていない。
「龍の画をみるとその周りには必ずといってよいほど雲が描かれている。そのために多くの人々は、天空を駆け巡る龍は雲のあるところしか飛べないと思っている。しかし、そうではないのだ。雲があろうがなかろうが龍は天空に飛翔するのである。そうするとその周りに雲が自然と湧きあがるのである。」 そういう意味だ。「雲は龍に従う」と読む。私の好きな文言である。横綱の“雲龍型の土俵入り”の「雲龍」も同じ意味である。元旦にupdateした年賀状の「雲従龍」は、版画調にしたものである。
私の政治スタイルはいつもそうであった。衆議院選挙に立候補を決意したときからそれは始まっている。衆議院議員になってからも、私の政治活動のスタイルはそうであった。それは、多くの人から無謀といわれた。だが、雲は龍に従うだ。最後は私の企図したことはなんとか成就した。政教分離を掲げて、創価学会・公明党との戦いも同じである。多くの人々はこれを無謀の戦いという。だが、いわなければならないことはいわねばならないのである。無謀であろうが、戦わなければならないものとは戦わなければならないのである。政治の世界で私がこの旗を降ろしたのでは、誰もこの旗を掲げなくなってしまう。
この戦いは、もう10年になる。しかし、昨年の参議院選挙で国民は自公“合体”政権を追い詰めた。あと一歩である。その戦いが今年行われるであろう総選挙である。政局展望は、いつも投稿している『フォーラム21』に 「自公“合体”政権はすでに裸の王様である」、週刊金曜日編の『日本はどうなる 2008』に「自民党政治は終焉するのか」と題する小論に書いておいた。Webサイトにもupdateしておいたのでお読みいただきたい。いずれでも、自公“合体”体制と戦う以上、私たちは創価学会の本性を見据えて戦う必要性を指摘しておいた。
元旦には近所の熊野神社、東郷神社、明治神宮に初詣にいった。これだけの神様にお祈りしたのだから、私たちの戦いをきっと加護して下さるだろう。来るべき戦いは、多くの国民を苦しめ、独立自尊の気概を失っている自公“合体”体制から政権を勝ち取り、国民が幸せになるための力(=権力)をその手にするためのものである。この戦いは、どうしても勝ち抜かなければならない。この永田町徒然草がその一助になれば、これに優る喜びはない。今年もご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。
それでは、また。