自民党の迷走が始った!
07年11月20日
No.619
自民党が迷走を始めたような感じがする。伊吹自民党幹事長は盛んに解散風で野党を牽制しているが、福田首相は野党と党首会談行いたいと申し入れた。11月19日秋田市で古賀誠選挙対策委員長は記者団に対して「任期はあと2年ある。3分の2なんて議席は到底、及ばないと思っているから、考え方によっては(09年9月の)任期満了でもいいんじゃないか」と語ったという。大阪市長選の敗北や額賀福志郎財務大臣の諸疑惑や一向に審議の進まない新テロ特措法案などが原因なのであろう。
なぜ自公“合体”政権はハイになったりローになったりするのだろうか。その根本は単純である。その政権の根拠にシッカリとした定見がないからである。このことは、参議院選挙の時から始まっている。「参議院選挙は政権選択の選挙ではない」という主張である。参議院通常選挙は堂々たる国政選挙である。政権に対する信任を問う選挙である。そういう意味では、安倍首相が小沢民主党代表と同席した演説会で、「首相として私がふさわしいのか、小沢民主党代表がふさわしいのかを選択して欲しい」と問いかけたのは正しいことだったのである。おかしかったのは、その選挙で大敗しながらその席に居残ったことであり、政権を放り投げた安倍首相の後継に反省もなく福田首相を選出したことなのである。
自公“合体”政権は現在の衆議院でもっている化け物のような3分の2の議席に拘泥しているから、このような行動となるのである。確かに憲法によれば、この3分の2の議席を使えば、自公“合体”政権は自分たちが成立させたいと思っている法律案は押し通すことができる。予算と条約も衆議院で過半数をもっていれば押し通すこともできる。しかし、国政は法律や予算だけで運営できるものではない。国政にとっていちばん大切なのは、国民の信任なのである。難しい言葉を使えば、政権の“正統性”なのである。参議院選挙で大敗を喫した安倍内閣にも福田内閣にも、この“正統性”がないのである。
政権の形式的な“正統性”は、憲法や法律によって与えられる。しかし、政治的な“正統性”は、選挙によって与えられる。「参議院選挙は政権選択の選挙ではない」などといってはダメなのである。衆議院の力の“正統性”は、衆議院選挙によってしか与えられない。衆議院選挙を行った場合、自公“合体”政権が3分の2の議席を確保することはまずあり得ない。従って、憲法59条の“3分の2条項”は使えなくなる。しかし、過半数を確保できないと決まっている訳ではない。衆議院で過半数をもっていれば、予算や条約についての優先権は確保されるのである。自公“合体”政権は、参議院で過半数を失ったときからこの覚悟をもって政権を運営するしかないのである。
しかし、自公“合体”政権は衆議院選挙で国民の洗礼を受けた上でそうしなければならない。その洗礼を恐れ、2年前に与えられた現在の議席に拘泥し自分たちの考えに固執しようとしているから、国民は福田内閣のやろうとすることに“正統性”を認めないのである。正統性に疑問のある政権がゴリ押ししようとすれば、国民の反発をますます煽ることになる。自公“合体”政権が勝つか、野党が勝つかは、実際のところ総選挙をやってみなけば分からない。自公“合体”政権が勝った場合、“ねじれ”国会ははじめて“正統性”をもった“ねじれ国会”となる。
“ねじれ”国会といわれているが、いったい何がねじれているのであろうか。自公“合体”政権がやりたいことに多くの国民が反対するのは当然のことであろう。新テロ特措法案だって、自公“合体”政権がいうほど立派なものではない。単なる日米同盟論者=従米主義者の主張にすぎない。国民の3分の2は、とてもそのような主張に賛成しまい。自民党や公明党の議員がさも重大事のようにいうことは、その大半は官僚にとって重大事であっても国民にとって重大事ということは滅多にない。ガソリン税の暫定税率が早晩大きな問題になるが、こんご議論になる問題をみればこのことはよく分かる筈である。
現在の野党が参議院で過半数をもっている状態は、今後3年間そして多分さらに6年間つづく。だからといって、国政が停滞するなどと心配する必要は少しもない。国民本位の政策が与野党によって競われることになるであろう。官僚の官僚のための法律案は国会を通らなくなる。現在の与党も野党も官僚に頼るのではなく、自分たちの政策力を高めなければならない。政治家は官僚に依存するのではなく、官僚を使いこなさなければならない。私は長い間官僚と付き合ってきたが、そんなことは少し努力すれば十分可能なのである。自民党の迷走は、このような根本が分かっていないことに原因がある。
それでは、また明日。