「革命家」を乗り越える“革命”
07年11月05日
No.604
昨日、小沢民主党代表の辞任表明の記者会見を聴き、永田町徒然草No.603を号外的に書き、それ以来私はテレビや新聞をみる気がまったく起きなかった。なんだか非常に悲しかった。そして私と同じように多くの人々が落胆していると思うとそれがまた悲しかった。したり顔の評論家やコメンテーターの物知りげなコメントなど聞きたくなかった。私はそのまま渋谷に出かけた。
私はもう数年間、政権交代はひとつの“革命”である、と訴えてきた。大事件は誰が仕掛けなくても起こり得るが、“革命”は誰かが仕掛けることなく自然に起こることはない。“革命的な大事件”はときどきあり得るが、それが“事件”である限りその成果に国民が浴することは余りない。革命を仕掛ける者が“革命家”である。革命家という者は、そう簡単には育つものではない。また他人が育てられるほど簡単なことではない。革命家は“時代と国民”のみがはじめて育てることができるのである。
革命の過程で、多くの「革命家」の本性と限界が露呈し、「革命家」が革命に乗り越えられていく。革命は、「革命家」だからといって容赦はしてくれない。私は小沢民主党代表の辞任という事態は、そうしたものと捉えている。私は政治生活の大半を小沢氏の存在を意識して過ごさざるを得なかった。その最初は、田中角栄的なものとの闘いのころから始った。もちろんその頃の小沢氏は田中角栄氏の一親衛隊員に過ぎなかった。それ以後のことはここで書くこともあるまい。
私は政治家の一事を大切にする。政治家の言動というのは、責任を伴うものだからである。従って、過去のある一事をもって政治家が判断されることがあっても仕方がないことだと思っている。だからといって、私は過去の一事をもってその評価にこだわることがないように心がけている。“君子は豹変する”というように、優れた政治家や革命家は“化けること”があり得るからである。そう考えておかないと優れた政治家や革命家を見誤ることがある。革命を志向する人たちはこのことを心がけなければならない。
私が小沢氏の過去の“数事”を忘れなかったことは確かであるが、民主党代表に就任してからの小沢氏を色眼鏡・疑心暗鬼でみていた訳ではない。どうであれ、小沢氏は野党第一党の党首であり、私も自公“合体”政権を打倒しようと考えている以上、小沢氏に対して最初から疑心暗鬼や色眼鏡をもってみたりこれを無視して、これからのことを考えることができないからである。私はこの一年間に小沢氏を非難したこともなければ、さりとて“ヨイショ”したこともない。ただ1回だけ今回のことに関連することを書いたことがある。
小沢一郎氏は島津斉彬か島津久光のような気がする。民主党の中から西郷隆盛や大久保利通や高杉晋作や桂小五郎が輩出しないとほとんど機能不全に陥っている自民党幕府を延命させてしまうことになるのではないかという思いがするのは私だけだろうか。いまわが国に必要な人物は破天荒でもいい。歴史の扉を強引にこじ開けていく高杉晋作のような“狂気”をもった政治家なのである。
島津斉彬は公武合体派の薩摩藩主で、西郷隆盛や大久保利通を登用してこれを育てた。島津久光は斉彬の異母弟である。倒幕に成功し明治政府が樹立されたとき、島津久光が「俺は何になるんだ」と西郷たちに訊いたところ、西郷たちに「版籍奉還」と聞かされ、激怒したという。いまや国民は小沢氏が考えている以上のことを求めていることに小沢氏が気が付かなかったというのが、今回の事変の真相なのではないだろうか。
いずれにしても新しい民主党代表を選ばなければならない。民主党は苦悩している。確かにこの革命を先頭に立って導ける政治家が民主党の中にこれといって見当たる訳ではない。しかし、選ばなければならないのである。
“人物”というのは、戦いの中で作られてくるものなのだ。坂本竜馬だって、高杉晋作だって戦いの中で人物になってきたのである。民主党の中の閉塞感・絶望感は実のところ口では言い表せないものがあると思う。だから、俺がこうやるといって立ち上がれば、鯉でも“龍”になることが分からないであろうか。政治の面白さはそういうところにある。
引用したこの文章は自民党の総裁選に関して述べた記述なので、文中の民主党は原文では自民党とある。しかし、民主党の代表選びにも妥当する。いま名前が挙がっているような人物では確かに面白くなりそうもない。だが、参議院選挙後の日々は、革命を成し遂げるための戦いの連続なのである。そういう認識と自覚をもって、新しい民主党代表を選出してもらいたい。私は民主党代表の選出を注意深く見守って生きたいと思っている。なお、引用した文章は永田町徒然草No.552のものである。
それでは、また明日。