自民党政治を倒すことはできるか?
07年10月22日
No.588
昨日は1日中家にいて締切りの迫った原稿を書き上げた。結果として前に書いたものとはまったく違ったものとなった。せっかく書いたものを捨てるのは心残りである。出版社との信義を損なうことにならないので掲載することにする。
自民党政治を倒すことはできるか?
自民党政治とは!?
自民党が2008年中に終焉するかといえば、それはノーである。自民党という政党は来年中になくなることはない。そのことはハッキリと断言できる。しかし、自民党政治がどうかというとその可能性は十分あり得る。ここでいう自民党政治が自民党が中心になっている政権いう意味とすればその可能性は十分ある。自民党が政権党から転落するかどうかということである。
だが本当の意味における自民党政治は、かなり前から終っているのである。読者の中には、「何!?」と思う人が多いであろう。正確にいうと政府=自民党といわれた自民党政治はすでに終焉しているのである。麻雀で危ない牌を切ってそれが通った場合、セーフ・ジミントウという(笑)。このことからも窺えるように自民党=政府というのがわが国の国民の認識だったのである。このような認識が生まれたのは、当然のこととして自民党単独内閣が長く続いたからである。しかし、1993年(平成5年)の総選挙で自民党が野党になって以来、ほんの一時期を除いて、自民党単独で政権を担当したことはないのである。
自民党単独内閣など、今は昔
1994年に自社さ連立により、自民党は政権に復帰した。しかし、この時は自民党は衆議院で過半数の議席がなかった。もちろんどの政党も過半数はもっていなかった。小選挙区制の下ではじめて行われた1995年の総選挙は、自民党は過半数に数議席足りなかったものの圧倒的な第一党となった。しかし、単独では内閣を組織することはできず、閣外協力ではあったが自社さ連立は引き続き維持された。また自社さ連立を維持しないことには、参議院の過半数を確保できなかった。
1999年に野党第一党であった新進党が解党したために旧新進党からかなりの数の衆議院議員が自民党に入党した。そのために自民党は衆議院で安定した過半数を確保することになった。このとき自社さ連立は解消された。久々に自民党単独内閣となったのである。この時の自民党総裁・首相は橋本龍太郎であった。
1998年の参議院選挙で自民党は衆参両院で過半数をもった本格的な自民党内閣を目指した。しかし、結果は大敗し、橋本首相は退陣した。その後に登場したのは小渕恵三首相であった。小渕首相は1999年に自由党や公明党と連立を組んだ。翌年4月に自由党は連立から離脱した。自由党の一部は保守党として連立に残留したが、この時以来自民党と公明党が政権を組織しているのである。2000年の6月に総選挙が行われたが、自民党は公明党と一体になって選挙を戦った。以来自民党は単独で選挙を戦ったこともなければ、単独で過半数を獲得しようとする意欲すらみせない。いまや自民党と公明党の連立体制が政権を獲得しているのである。
大義名分を失った自民党と公明党の連立
少し詳しく政権の形=連立を振り返ったのは、過去の連立にはそれぞれ事情があったことを確認するためであった。2000年から今日まで3回衆議院議員総選挙が行われている。しかし、いずれも自民党と公明党は一体となって選挙選を戦い、その結果として過半数を確保しているにすぎない。自民党単独で戦って過半数を確保できたかどうかとなると疑問であるし、だいいち自民党は単独で過半数を確保する意欲すらもっていない。
第二次自社さ連立も自公連立も参議院で過半数を自民党がもっていないことが大義名分だった。2007年の参議院選挙で自民党も公明党も大敗した。両党の議席をあわせても参議院の過半数には遠く及ばない。
一方、政権を組織するために必要な衆議院では、自民党は3分の2を超える議席をもっている。だから自民党単独で政権を組織できるのである。そうすると自民党と公明党との連立は、いったい何のための連立かという疑問が生じる。選挙のために連立以外にその理由は見出せない。ふつう連立政権は選挙の結果を受けて成立するものであり、選挙に勝つための連立など寡聞にして知らない。選挙のために連立を組むくらいならば、自民党と公明党はひとつの党になるべきである。そうしないと政治の無責任体制が生じることになる。自民党と公明党との連立は、政権党でいたいというだけの浅ましい強欲な連立なのである。だから私は、現在のこの連立を自公“合体”政権と呼んでいる。
敵はいったい誰なのか?
私は自民党と公明党との連立に反対して自民党を離党した。だからといって、ここで“得意”の公明党批判をしようというのではない。与えられたテーマである「自民党政治は終焉するのか」ということを正確に予測するためである。「自民党政治」をどのように捉えるにせよ、自民党政治が終焉するかどうかは自然現象ではない。自民党政治を守ろうとする者と自民党政治を打倒しようという者の戦いによってその帰趨は決せられる。私がいうところの自公“合体”政権を打倒しようという場合、敵は自民党だけではない。公明党そしてその支持団体である創価学会も敵となる。
戦いにおいては、敵の本質・力量を正しく認識しなければ勝つことはできない。敵が自民党だけだったとすれば、“意外に話は簡単”なのである。「セイフ・ジミントウ」というくらいである。「セイフ」とは政府であり、官僚組織のことである。伝統的な自民党の国会議員は、「我は政府なり」と思っていた。自民党の国会議員やその候補者を支援する者も、政府の一員を支援する者と錯覚していた。このようなトリックが成立するためには、政府=国家官僚が自民党を必死に支援する場合にのみ可能となる。
自民党政権がこれからもかなりの期間続くとみれば、国家官僚は真剣に自民党議員を選挙でも日常の政治活動でもフォローする。私はこういう“幸せな”自民党の全盛時代を知っている。しかし、国家官僚は、自民党と命運を共にするほど自民党に忠実でもないし律儀でもない。自民党の過半数維持が難しいとなれば、必ず洞ヶ峠を決め込む。私は1996年の総選挙において自民党総務局長として選挙に深く関与したが、官僚の生き様を嫌というほどみせられた。先の参議院選挙の結果をみて、次の総選挙において官僚たちは洞ヶ峠を決め込むであろう。そのときに自民党などは、いわれているほど強固ではないのである。
<つづく>
それでは、また明日。