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保守とリベラルについて

07年09月23日

No.559

暑さ寒さも彼岸までというが、彼岸になったというのに今年はいっこうに涼しくならない。この永田町徒然草を書こうと思ったのであるが、蒸し暑かったので、タバコの補給がてら外を歩いてきた。暑いというほどではないが、とても涼しいという感じではなかった。やせ我慢して、あまり暑い暑いといわなかったが、本当に今年の夏は暑かった。気象情報では、明日東京では一雨あり、そうすると爽やかな秋空がくるという。待ち遠しい(笑)。

今日で馬鹿らしい自民党総裁選は終る。福田氏の当選以外の選択肢は、自民党にはないようであるが、首尾よく福田氏を当選させても自民党の苦難は続くであろう。自業自得なのだから仕方ない。ところで、最初の世論調査で、福田内閣の支持率はどのくらいになるのだろうか。私にはちょっと想像できない。40%台であったら福田内閣はとても勢いをもたないであろう。30%台であったら、ピンチである。そうしたらまたシャッポを変えるという戦略はもうできないであろう。今度は解散総選挙である。福田氏がもたなくなっての解散総選挙では、自民党は惨敗を免れまい。最初の世論調査の結果はきわめて大事である。

先の参議院選挙で自民党は大敗した。これが衆議院の選挙であったら、自民党は野党に転落していたのである。今回の総裁選では、野党になる寸前のところまで追い詰められた自民党をどう立て直すのかということがテーマでなければならなかった。そんな認識や気迫はまったく感じられなかった。自民党が大敗したのは、自民党の政策やあり方が行き詰まったのである。安倍首相の戦後レジームからの脱却というスローガンが敗北したのである。だとしたら、このテーマに対する反省や見直しが行われなければならなかったのである。

1993年(平成5年)自民党が野党に転落したとき、私は自民党が再び政権党に立ち直るためには自民党の基本理念を“リベラル”な路線に切り替える必要があると思った。宮沢総裁の後継者に河野洋平氏を選出したのも、「リベラル政権を創る会」を設立したのもそのような基本戦略に基づいたものであった。この戦略・戦術は成功した。自社さ政権を作ることができたのも、平成8年の小選挙区制での初めての総選挙で自民党が勝つことができたのも、この基本戦略に基づくものであった。

政党が前進するためには、その政党の基本的な政治理念が正しくなければならない。基本的な政治理念で政権運営や個々の政策が決まってくるからである。リベラルな自民党という政治路線を党の中枢においてリードしたのが、加藤紘一政調会長・幹事長であった。加藤氏もリベラルな路線を歩む以外に自民党再生の道はないと思っていた。1998年(平成10年)の参議院選挙で橋本・加藤体制の自民党が敗北したのは、正直にいって想定外の出来事だった。私自身その総括が正しくできていないような気がする

橋本総裁の後継に、小渕恵三氏を選出したあたりから、自民党のリベラル路線はおかしくなっていった。そして小渕首相が公明党と連立をしてから自民党はリベラル路線から完全に外れていった。基本的な政治理念ではなく、手練手管で政権運営がなされるようになった。加藤の乱は、追い詰められていった自民党リベラル派の戦略なき“乱”であった。しかし、加藤の乱を鎮圧した執行部の意図は明確だった。自民党リベラル派の殲滅であった。そして自民党リベラル派は見事に殲滅された。リベラル派が殲滅された自民党から私は去ることにした。

加藤の乱を鎮圧した一人が森派の小泉純一郎会長だった。小泉氏はリベラル派の殲滅をした頭目の一人なのである。その小泉氏を殲滅された加藤氏や山崎氏が真っ先に支援して小泉総裁が選出された。“改革”を叫ぶ小泉氏の改革にはリベラル性は全くなかった。YKKという人間関係だけの結束など、政治の世界では脆いものである。小泉氏にコケにされた加藤氏や山崎氏は、小泉後継に福田康夫氏を擬していたようである。今回の総裁選をみていると加藤氏や山崎氏の影が見え隠れする。しかし、福田氏がリベラル派かどうかは明らかでない。リベラルな臭いを出してはいるが、これは手練手管からに基づくように思われる

私はリベラルなどということは特別なことでもなんでもないと思っている。リベラルな日本国憲法がインストールされているわが国はいろいろな面でリベラル性をもっているのである。そのことを好ましいと評価するか、好ましくないと評価するかということだと私は思っている。好ましいと評価する者は、この傾向をさらに発展させようとする。好ましくないと評価する者は、これを阻害しようとする。戦後レジームから脱却を訴えた安倍首相やこれを支持した者は、後者の方である。

私は、わが国の保守政治家はある程度リベラルでなければならない、と思っている。保守政治家というのは、人間が頭で考えたイズムや理屈でこの世のことを律しようとしないことにその本質あると思っている。敗戦直後の日本では自由も平等も男女平等も、憲法がそういっているだけのことであった。しかし、その憲法で60年以上も日本の政治は行われてきたのである。だから憲法秩序はすでに“ひとつの現実”なのである。

保守主義とは、現実に存在しているのもの・現に存続してきたものの価値を重視する考え方である。だから私は、わが国の保守政治家はある程度リベラル性がなければならない、というのである。“革新的”あるいは“革命的”な人々には意外と思うかもしれないが、保守主義とはそのようなものなのである。お祭りの最後の日にしては、ちょっと七面倒くさいことを書いた。しかし、このように“原理原則”から物事をみないと事の推移は予想できないからである。

それでは、また明日。

  • 07年09月23日 02時50分AM 掲載
  • 分類: 5.憲法問題

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