泥舟はやはり沈んだ!
07年09月12日
No.548
安倍首相が辞任した。なんともあっけない安倍内閣の終焉である。やはり国民が国政選挙で示した意思に公然と歯向かうことは、無理なのである。いや許してはならないのである。かろうじてわが国の歴史に例外を残さなかった点は、わが国の憲政史上良いことだったと私は思っている。今回の問題はこれに尽きる。
それにしても、国民の意思に公然と敵対しようとした改造内閣の閣僚に唯々諾々と就任した大臣諸公こそいい面の皮であろう。彼らの発言もテレビでみたが、狐に抓まれたみたいだった。その中でも特別に張り切っていた舛添厚生労働大臣は、「感想は?」と聞かれると「感想は、ナイ、ナイ」といって車に乗り込んでいた。よほど驚天動地の心境だったのであろう。いかなることにも明快な理屈(たとえそれが屁理屈であっても)でものをいうのが彼の唯一の取り得だったのであるが……。民主主義を否定する首相の大臣を引受けるなどという理屈に合わないことをするから、こういう目に遭うのである。もって瞑すべし、である。
参議院選挙の直後に安倍首相が辞任していたのならば、後継総裁の選出は意外に簡単だった。しかし、今度の新しい総裁選出は意外に難しいと思う。安倍首相の続投を許したという意味では、自民党の議員には責任があるからである。そういう意味では、安倍首相の続投を許したことの責任は重いのである。参議院選挙の直後、安倍首相に続投を“けしかけた”麻生幹事長の責任は特に大きい。麻生幹事長を総裁に選出するようだったら、「麻生新首相」を安倍首相と同類と国民はみなすであろう。
しかし、今回の安倍首相の辞任を国民は安倍首相が出鱈目だと思うだけでなく、自民党や公明党を出鱈目と思うことになるであろう。それは正しいことである。安倍首相の続投はそもそも無理筋だったのである。だから、自民党や公明党のの国会議員が本気で動いていれば、安倍首相の続投を阻止することなど簡単にできたのである。そのことを国民は支持したであろう。自民党や公明党の国会議員の中で誰も本気でそのことをやらなかったのである。中にはこれに媚びる者までいた。いうならば、同罪なのである。舛添クンなどはその筆頭である。
私が安倍首相の続投はまだ決まっていないよと最後まで慎重だったのは、政治ではこういう場面が時にはあるからである。そこに政治のダイナミズムやエネルギーがあるのである。それをやれるのが真の政治家である。安倍首相の出鱈目な辞任を受けて物知りげにいろいろと弁解するのは、所詮“後膏薬”というものである。そういう後膏薬を一見もっともらしくいう政治家には反吐(へど)が出る。まあ、自民党や公明党の言動をこの際、しっかりと見ておこう。
それでは、また明日。