見苦しい責任転嫁
07年06月10日
No.453
馬鹿につける薬はないという表現の上をいくのが、“馬鹿は死ななきゃ治らない”というものではないだろうか。自民党も公明党もこちらの方ではないかと最近思うようになってきた。今日は、日曜日である。日曜定番の政治番組があるが、私は今日観るつもりはない。徹夜で『月刊マスコミ市民』の憲法改正問題講座の原稿を書いてきた。だいたい終ったが、明日もう一度推敲しなければならない。夕方にはかつて大学の寮で一緒に生活した者の集いがある。これにはぜひ参加したいと思っている。そうすると、この永田町徒然草をupdateしたら寝なければならない。
去る金曜日、みのもんたの『朝ズバッ!』に、丹羽雄哉自民党総務会長が出演した。あまり時間はなかったが、例によってテーマは年金問題であった。その番組の最後で、丹羽氏は「野党の皆さんは、仕事をしてこなかったあの社会保険庁の公務員の味方なんですね。あの人たちが作る労働組合の味方なんですね」といっていた。ハマコーがこんなことをいっても驚かないが、こんな馬鹿なことをいう自民党の幹部を私は知らない。丹羽氏は私と同期当選である。派閥も宏池会であった。読売新聞社の記者出身で、田中派との闘いやリベラルが問われた問題などで一緒に活動することもあった。自公“合体”政権の中にいると、このように人間まで変わってくるのであろうか。
私は社会保険庁の職員の仕事ぶりがどのようなものか知らない。公務員には、もともとそんなに仕事好きな者はいない。しかし、「うちの職員(社員)は仕事をしないのでダメなんです」、「このような結果となったのは、職員(社員)が仕事をしてくれなかったからです」などという幹部の言い訳は、官庁であろうが民間であろうが果たして通用するであろうか。人事管理ができないのは、その幹部がダメだということである。官庁であろうが民間であろうが、人事管理は幹部の仕事であり責任である。丹羽氏は典型的な社労族であった。厚生政務次官・社会労働委員長に望んで就任し、厚生大臣にもめでたくなった。社労族のボス的存在である。
社会保険庁の職員の怠慢が今回の年金問題の責任だとしたならば、それを管理しなければならなかった丹羽氏をはじめとする幹部がその責任を果たしてこなかったからである。民間会社では、取締役などがその責任を果たさなかった場合、株主代表訴訟で取締役の個人責任が追及される。丹羽氏などは、会社でいうならば堂々たる取締役の一員である。株主代表訴訟ならば、被告適格が十分にある。歴代の社会保険庁長官などにも被告適格がある。長官退職後、みな渡り歩いて相当の退職金を手にしたようだが、株主代表訴訟で命じられる賠償額は巨額である。手にした退職金の何倍も払わなくてはならないであろう。幹部としてその職責を果たさなかった者には、不作為という不法行為を理由に国家賠償を求めることもできるのではないか。新参者だが社労族のひとりである安倍首相にも、被告適格があるのではないか。
多分、日曜定番の政治番組に出演する自民党や公明党の議員は、丹羽氏と同じようなことをいうのではないかと思う。いいたければ、いわせておけばいい。国民はそんなことに騙されるほど馬鹿ではないだろう。責任転嫁は、もっとも恥ずかしいトップの姿である。そんなことが分からない自公“合体”政権なのである。馬鹿は死ななきゃ治らないというのであるから、今度の参議院選挙で死なせてあげることを本気で考えようではないか。先週この永田町徒然草はちょっと長いものばかりになった。嫌われないように今週は、“寸鉄人を撃つ”ようなものを心掛けるつもりである。
それでは、また明日。