ITとサマータイム
07年06月07日
No.450
永田町徒然草No.445で「サマータイムの是非を論じはじめれば、甲論乙駁で収拾できなくなることは明らかであるが、それでも私は一貫してサマータイム賛成論者である」と述べた。10年くらい前、私はサマータイム研究会の幹事長としてほとんどすべての賛成論と反対論を聴いた。それを全部承知した上で、「一貫してサマータイム賛成論者」なのである。しかし、蓼沼さんという方から次のようなメールをいただいた。こういう意見は、これまでに聴いたことがない。私の驚きであった。
蓼沼さんからいただいたメール
初めまして。地方都市で孫請けのプログラマーをやっております蓼沼と申します。サマータイムについて、若干ながら思うところがありますので簡単ながら意見を述べます。
現代社会は、高度にIT化されてしまいました。言うまでもなく、時刻というものは、非常に重要なデータとなっています。時刻情報を利用するコンピュータプログラムは、日本中に、想像を絶する量存在します。サマータイムの導入時には、これらのプログラムを、全て修正し、テストし、問題が発生したら即応する態勢を整えねばなりません。現実的にこれは不可能です。以下のような問題があります。
- サマータイムを前提としないシステムの存在
- 修正が不可能なシステムの存在
- システム修正にかかわる労働者の不足
- システム改修の危険性
- サマータイム対応・非対応システムの混在
1. サマータイムを前提としないシステムの存在
IT普及以前からサマータイムが存在した欧米ならともかくとして、日本では時刻は一年を通して単一であるという前提でプログラムが組まれています。24時間連続稼働しているようなシステムの場合、簡単な修正、例えば設定ボタンで切り替える、という方法で解決することはありません。
2. 修正が不可能なシステムの存在
現に運用されているシステムでも、プログラマーがすでに退社している等により、修正が不可能なシステムも多々あります。プログラムの設計上の問題により、改修が不可能、あるいは現実的ではない場合も多々あるでしょう。また、基盤となるプログラム(OSやミドルウェア)が非対応であり、対応する予定もない場合、どうにもなりません。
3. システム修正にかかわる労働者の不足
サマータイム用にシステムを更新するとして、移行期間が2年としても、人手が全く足りないものと思われます。サマータイム用に人を割り振ったら、他の業務が滞りますし、移行時には全システムの監視が必要となりますが、対応可能な人材が足りないでしょう。IT業界はやせ細っており、ベテランになるまでこの業界に残る優秀な人材は希なのです。また、IT業界は特需になりますが、現実には元請けがかすめ取るだけで、下請け・孫請けは劣悪な労働条件で仕様書もろくに無いシステムの改修をやらされることになります。
4. システム改修の危険性
既存のシステムに手を入れて修正することは、非常に困難なばかりか、新たな不具合を発生させる元凶です。2000年問題とは比較にならない混乱が生じる可能性があります。2000年問題では、間違った作りのプログラムだけが障害を起こしました。しかし、サマータイムの導入では、それまで完全に正常だったプログラムに障害が起きる可能性があるのです。日本のIT産業は非常に脆弱です。極めてあやふやな設計図に基づいて、なんとか家が建っている、というようなシステムが非常に沢山あります。たとえ改修作業が行われたとしても、成功するとは限りません。
5. サマータイム対応・非対応システムの混在
実際にサマータイムが実施されたとすると、サマータイム対応のシステムと、移行できずに冬時間のまま動作するシステムとが混在することとなります。システム間でのデータやりとりに齟齬が生じる可能性がありますし、運用する人も、夏時間と冬時間、両方を考慮して扱う必要が出てしまいます。10年前に実施するならともかく、今ではすでに、サマータイムの導入は手遅れと考えるべきです。年二回、家中の時計を合わせ直せば済む、という牧歌的な時代ではなくなった、ということです。サマータイムと同様の効果をあげるために、時計をずらす以外の方法もあるはずです。例えば経団連に所属する大企業や、政府機関などから、1時間出退社時間を早めるタイムシフトを大々的に実施してみたらどうでしょう。効果はほぼ同じではないかと思うのですが。
以上、簡単なつもりが長文になってしまいました。本当に、今回のサマータイム導入の話は思いつき以上の何物でも無いと思います。コンピュータシステムがネットワークに接続されている現在、時刻を変更するということは非常に大変なことなのです。安易な思いつきの結果、日本中が大混乱に陥り、自殺者も出るでしょう。馬鹿なことはやめて、本質的な省エネ議論が行われることを、切に願っています。
<メール了>
蓼沼さんのご指摘の問題点に関する私の意見
蓼沼さんが指摘されたサマータイムの問題点は、私にとってはじめてであった。私もITを解せぬ時代遅れの人間ということか!? 反省をしなければならない。だが蓼沼さんが指摘する問題点は、絶対に対応できない問題なのであろうか。もちろんIT産業に関連する方々に犠牲を求めることはできない。サマータイムの“ 生活の質を高める”という本旨に照らして、そんなことは許されることではない。膨大かつ困難な作業が必要なようであるが、生活の質を高めるためにしなければならない仕事こそ、正しい意味における数少ない有効需要というものではないだろうか。このような有効需要は、最近ではかなり少なくなっている。こういうものをケチるようでは、わが国は生活の質の高い社会にはなれない。
サマータイムの省エネルギー効果はやらないよりマシという程度だと私は書いた。それは意外に本当のことなのである。少なくとも安倍首相が唐突に主張しはじめた「2050年度までに世界全体の二酸化炭素ガス排出量を現在の半分にすることを洞爺湖サミットで決める」という豪儀な目標を達成するための決定打となるようなものではない。しかし、サマータイムを導入し、日本人の way of life が大きく変わることによって、生活に関する価値観が大きく変化することに私は賭けているのである。日本人が伝統的に大切にしてきた way of life が、ひとつの生き方として世界の人々の参考になれば、それは質的な省エネルギー効果を齎すと私は期待しているのである。
永田町徒然草No.446で「私の政治家としての思いはもっと先にある。それは日本の文化の省エネ性ということである。日本人の way of life は、その本質において省エネルギーなのである。“わび”とか“さび”を詳しく論じる力は私にはないが、この言葉を聞いているだけでも省エネルギー性を感じるではないか。最近は国際語となりつつある“もったいない”も、アメリカの大量生産・大量消費文化とは明らかに異なるものである。文化の移転は、下手をすると政治的フリクションを産む場合がある。しかし、省エネ技術はどんなに発達していたといっても量的な差違にすぎない。way of life を変えないことには、エネルギーの消費を質的かつ劇的に少なくすることはできない。そのためには、わが国でもう一度わが国の誇るべき way of life を見直さなければならない」と述べた。
私はそのことをいいたかったのである。サマータイムを導入するによって、私たち日本人はそういうことを真剣に考えかつ実践する機会をもつことができると確信している。従って、蓼沼さんのご意見は傾聴に値するし、これらには十全の配慮されなければならない。そのような条件を付けた上で、サマータイム賛成という私の考えはやはり変わらない。頑固だからそういっているのではない。人類が way of life を質的かつ劇的に変えない限り環境問題も畢竟克服することができない、と私は確信しているのである。日本人の way of life は、憲法9条と同じように世界に誇るべきものをもっているのである。日本料理の世界的なブームは、これが私の妄想ではないことを示唆していると考えているのである。このことは、いろいろな観点から述べるつもりである。
それでは、また明日。