第三極は何処に行くのか。
16年07月02日
No.1842
参議院選挙も、あと1週間となった。私の情報網によれば、自民党はかなり苦戦している。公明党にもいつもの常勝ムードはなく、選挙区・比例区でも苦戦しているようだ。長い間わが国の国政選挙を見てきた者として言うが、それにはチャンとした理由がある。残る1週間、野党共闘陣営が一致結束して戦えば、安倍首相に鉄槌を下すことが、必ずできるのである。国を救う戦いであり、国民を救う戦いなのだ。
自公“合体”政権が国会に圧倒的な議席を持つようになったのは、平成24年12月と平成25年12月に行われた、2回の衆議院総選挙の結果であった。どちらの選挙でも、大きな特徴だったのは、第三極と称する政党が多数出現したことであった。小選挙区制の選挙においては、二大政党に大きく収斂されていくのが普通なのであるが、衆議院の選挙制度におけるわが国独特の“比例代表並立制”が、このような結果を招いたのだ。
多様な価値観の存在を“是”とする自由主義社会において、「なぜ政治的価値観だけを二者択一とするのか」という根本的疑問が、私にはあった。しかし、熱病のように盛り上がった“政治改革のうねり”の中において、そのような主張は“守旧派”の烙印を押されるだけだった。それが、現在の小選挙区制が導入された平成4年から平成6年の政治状況だった。改めて、その一番の扇動者がマスコミだったことを、指摘しておこう。
私は、現実的な政治家であった。小選挙区制に疑問を持っていたとしても、それが現実のものとなれば、それを前提に選挙を闘っていくしかない。ましてや、私は、平成8年10月に行われた、最初の小選挙区制における総選挙の指揮をとる、自民党の総務局長に就任したのだ。300の小選挙区に自民党公認候補か推薦候補を擁立するために、私は全力を尽くした。自民党同士の分裂選挙を行わないことが、基本であった。それだけは、何とか果たすことができた。自民党が勝てた最大の要因は、そこにあったと思う。
そもそも、自民党という政党は、「まず政権党になろうじゃないか」と考える政治家が集まる政党なのである。だから、上記のようなことが可能だったのかもしれない。平成8年の総選挙の時、自民党候補者の中には、過去に自民党以外の政党に身を置いた候補者は、殆どいなかった。自民党の評判は極めて悪く、他の政党からわざわざ自民党に来てくれる候補者など、いなかったのである(笑)。
平成8年の総選挙は、自民党と新進党のガチンコ勝負だった。自民党は、新進党の中核にいる創価学会・公明党に目を付け、憲法20条の政教分離原則を訴え、それを最大の争点とした。ところが、自民党と公明党の連立は、それまでの自民党と新進党の中核的存在であった、創価学会・公明党が一緒になることを意味する。だから、選挙に強いのは当たり前なのだ。平成21年8月の総選挙まで、野党陣営がなかなか勝てなかったのは、当然といえば当然なのであろう。
平成21年8月の総選挙は、野党共闘などと
いわゆる第三極と称する政党の走りが、平成22年に行われた参議院選挙の“みんなの党”と“たちあがれ日本”だ、と私は思っている。この選挙で、みんなの党は794万票、たちあがれ日本は123万票、新党改革は117万票を獲得している。いずれも、自民党に所属していた政治家が立ち上げた政党である。この3党で、合計1034万票である。ちなみに、この時の自民党の得票数は、1407万票であった。
平成25年参議院選挙においては、日本維新の会が713万票・みんなの党が475万票で、合計1188万票を獲得している。ちなみに、野党第一党であった民主党の得票数は、713万票であった。日本維新の会とみんなの党は、いろいろな理由から、民進党とおおさか維新の会となった。ちなみに、みんなの党の党首であった渡辺喜美氏は、おおさか維新の会の比例区候補者となっている。
この1100万を超える票を集めた第三極の支持者は、今回の参議院選挙で、いったい何処に投票するのであろうか。今回の参議院選挙は、いうならば源平の戦い・関ヶ原の戦いである。安倍首相が、そういう戦いにしたのだ。こういう戦いにおいては、どっち付かずというのを好まないのが、日本人気質。ここが、重要なポイントなのである。
おおさか維新の会は、結局のところ、安倍別動隊であることが明らかになった。大阪近辺では票を集めるであろうが、全国的な広がりはなかろう。みんなの党は、雲散霧消である。ところが、この政党を支持した人たちは、基本的に投票に行くのである。たぶん7割は、自民党には入れないであろう。もちろん、公明党に入れないことも間違いない。野党共闘の陣営は、その多くを取り込むことができるであろう。いや、取り込まなければならないのだ。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。