「山が動いた」考
07年03月15日
No.365
今年は、参議院選挙の年である。国民も野党も今度の参議院選挙には特別の思いを込めている。小沢一郎民主党代表は、参議院の与野党逆転に政治生命を懸けるといっている。参議院で与党の過半数割れに起こし、これをテコにして衆議院解散に持ち込み、その総選挙で自公合体政権を倒して政権交代を実現するという段取りである。参議院選挙における野党の大勝利というと、マドンナブームで社会党を大勝させた土井たか子社会党委員長が発した「山が動いた」という名文句を思い出す。
私も今夏の参議院選挙では、自公合体政権の与党をぜひ過半数割れに落としいれなければならないと思っている。特に安倍首相が憲法改正を争点にするといってから、その気持ちが強くなってきた。そう思ったときから土井さんの「山が動いた」という言葉が、いつも頭の中に去来していた。私は当時自民党の衆議院議員だった。党にいわれていろんな所に応援に行かされた。全国を回りながら、もうどうにもならなかった。だから負けは覚悟していたが、結果は地滑り的な敗北であった。その結果が出たとき、土井氏が「山が動いた」といったのだ。気持ちは分るが、私の語彙の中にこういうときに「山が動いた」という表現はなかった。最近山を動かさなければならないと思いだしてから、風林火山の「動かざること山の如し」が語源なのだろうと思っていた。
そうとばかり思っていたが、念のために調べてみたらどうも違うようである。1911年8月、平塚らいてうを中心に女性だけで作られた雑誌『青鞜』創刊号に、与謝野晶子が寄せた「山が動く日」という詩からきているものと私は思う。土井氏とは文教委員会で籍を同じくしたこともあるし、自社さ政権を作るとき何度もお会いした。土井氏の経歴や思想を知っている者として、私はそう確信する。まず『青鞜』創刊号に掲載された原詩を紹介しよう。この詩は「そぞろごと」と題して『青鞜』に寄せられた詩の中の一編である。後に改題されて表現も多少変わっているが、『青鞜』発表時のものを紹介する。
「山の動く日」
山の動く日来る
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑く眠りしのみ、
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜじともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女 今ぞ目覚めて動くなる
「すべて眠りし女 今ぞ目覚めて動くなる」の「眠りし女」は、「眠りし民」か「騙せられし民」のどちらかに替えなければならない。私は「騙せられし民」の方がいいと思っている。衆議院の3分の2を超える化け物みたいな議席は、小泉前首相が詐術的手段を用いて詐取したものだからである。すべての騙せられし民が今ぞ目覚めて動けば、「山の動く日が来る」のである。どうしても山を動かしたいものである。しかし、そのためには山が動いた1989年(平成元年)の参議院選挙を、徹底的に分析し学ばなければならない。
もうひとつ分析し参考にしなければならないのは、1998年(平成10年)の参議院選挙だ。この選挙では、私は自民党の団体総局長としてかなり中心にいた。私を含めて自民党関係者は誰も負けるなどとは思っていなかった。ところが蓋を開けてみると、歴史的な敗北であった。与党は現在衆議院で化け物みたいな議席をもっているので、野党としては国会では手の打ちようがないというのが現実である。国民の野党に対するイライラは分るが、国会闘争としては仕方がないのだ。国会では議席数が絶対なのだ。だからといって野党は自らを甘やかしてはならない。1998年の参議院選挙を振り返れば悲観しなくても良いことが分る筈だ。私たちは、山を動かす方法を考えなければならない。今後折りにふれて、そのことを書く。
それでは、また明日。