友へ(その3)
11年06月02日
No.1489
平成23年6月2日という日は、この数年間、あるいは10年近くにおける政治の流れの中で、忘れられない日となるだろう。私が衆議院議員をやっていた20年近くの間にも、会期末近くになると、野党から恒例のように内閣不信任案が提出されていた。野党が内閣不信任案を提出するは、ひとつの“仕事”みたいなものだし、これを否決するのは、与党議員の“仕事”みたいなものだった。平時であろうが大震災の後だろうが、内閣不信任案の提出は、それ自体、そんなに大それたことではないのである。内閣不信任案が提出されるとあらゆる案件に優先されるが、その審議と処理に要する時間は、1日もあれば十分なのだ。
こんなどうでもよい内閣不信任案だが、時々、大きな意味をもつことがある。時には、総辞職や解散総選挙を招きさえもするのである。私が衆議院議員に初当選した半年後に提出された大平内閣不信任案は可決され、いわゆる“ハプニング解散”となった。総選挙の最中に、大平総理が逝去された。この鮮烈な体験が、私の政治活動における、ひとつの原点になった。かなり前から、自民党などによる菅内閣不信任案の提出が話題になり、多くの評論家やコメンテーターは「そんなものが通る筈がない」と言っていた。しかし、私は一貫して注意を促してきた。
その理由は、いつも言っているとおり、今回の内閣不信任案のもつ意味を“具体的状況において具体的に分析”すれば、冒頭で述べた恒例の“お仕事”である筈がない、と考えたからである。物知り気な輩は、この大震災の復旧・復興の最中に、菅首相を変えてどうするのだという。しかし、こういう時だから救援救命・復旧・復興の諸対策が、極めて重要なのだ。
一例を挙げれば、あの“計画停電”という間違った救急対策で、首都圏の経済は完全におかしくなってしまった。いまなお回復しておらず、多くの人々が苦境に立たされている。経済という生き物は、いちど傷つけられたら、そんなに簡単に元には戻らないのだ。福島第一原子力発電所の事故対策が「あれで良い、あれしかなかった」とは、誰もいえないであろう。菅首相や枝野官房長官のいうことなど誰も信じなくなってしまったということは、致命的なミスである。リーダーのいうことが信じられなくなったら、難局を乗り越えることはできない。
3・11大震災から、すでに80日が経った。政府が行ったこの間の諸対策は極めて稚拙で、明らかに間違ったモノもあった。菅首相が「これからは一生懸命やるから、私に引き続き私にやらせて欲しい」というのならば、おこがましい思い違いだ。「私にしかできないでしょう」と考えているとしたら、それは思い上がりというものだ。今回の菅内閣不信任案の是非は、その菅首相を信任するかどうかという一点なのだ。これを信任した衆議院議員は、その責任を問われることになる。だから、只では済まされないことになるというのだ。
すべての衆議院議員が、3・11大震災にどう対処したを問われることになる。そして、そこからこれからの日本の政治が始まる。だから、冒頭に述べたとおり、この数年間、あるいは10年近くの政治の動きを判断する、リトマス試験紙となるのだ。この期に及んでも凡庸な行動しかできない者は、政治の非情な流れに呑みこまれるだけである。平成23年6月2日が大きな政治の分岐点になることだけは、間違いない。今日の、それぞれの衆議院議員や政治家たちなどの行動・発言は、注視しなければならない。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。