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新聞の効用

07年02月26日

No.348

今日は、新聞紙の効用について述べてみたいと思う。私は新聞は読売新聞と朝日新聞の朝夕刊をとっている。正直にいって最近の新聞は厚い。だから両紙の朝刊と夕刊をとっているとすぐにかなりの量になってしまう。だから溜まるとお手伝いさんが資源ゴミとして処分する。折角とっているのに、私は最近ほとんど新聞を読むことはない。朝からテレビでニュース番組をやっているので、新聞をみないとニュースが分らないということはまずないからである。またテレビで見てかつ新聞でチェックしなければならないようなことはあまりない。それではなぜ2紙も新聞をとっているかだが、新聞には大きな効用があるからである。

まずテレビ欄である。最近は前ほどテレビを観る時間はなくなったが、それでもテレビをそれとなく見るとき、その時間なにか面白い番組がないかどうかチェックするのに新聞のテレビ欄は非常に役立つ。家内などは新聞のテレビ欄をチェックしてビデオをセットするのが朝の仕事のようである。わが家ではビデオ権は家内にあるので、私はビデオをセットすることはまずない。私はビデオをどうしたらとれるのかも知らない。年に1、2回はどうしてもビデオにとらなければならないときもあるが、そのときは家内にセットしてもらうことにしている。

新聞の第二の効用は、次のようなものである。私はテレビの前のテーブルで食事を作り、かつ食事をとる。いまでも家では野菜のテンコ盛り料理である。その日食べる野菜をラーメン丼にまず入れる。最近では、キャベツ・白菜・ピーマン・タマネギ・ブロッコリー・トマト・ジャガイモ・モヤシ・えのき茸(最近では十日町市産が多いのである)など、けっこうレパートリーは広くなったのだ。これらを流し台で丁寧に洗う。農薬が残っているというので、できるだけ多くの水を使って洗い流すようにしている。

さて、流し台で洗った野菜は、ラーメン丼に入れたまま食事をするテレビの前のテーブルにもってくる。テーブルの上には、すでに数日前の朝刊が広げて置いてある。そして新聞紙の上にかなり水をまだ含んだキャベツやら白菜やらピーマンなどをそのまま載っける。まな板をもってきて、野菜が載っけてある新聞紙の上において、包丁で野菜を刻む。野菜は煮ることができないので、ただチンするだけなのだ(その理由は健康生活実践記に書いてある)。だから切る大きさが大切なのである。白菜やキャベツの下の方は、細かく切っておかないと意外に食べにくいのである。私は家ではご飯は食べない。ジャガイモやサツマイモで炭水化物をとるようにしている。これもただチンするだけなので、かなり細かく切らないと「なまチン」になってしまう。

洗ってきた野菜をこまかく切ってラーメン丼に盛り付けると、どうしてもかなりの切り屑がでる。これに構わずにラーメン丼に蓋をして電子レンジに入れてスイッチをいれる。多少の時間がないと料理は出来上がらない。その間に水で汚れたり、切り屑がいっぱいある新聞紙を一枚だけたたんで、テーブルの傍らにおいてあるビニール袋に入れる。そしてチンができあがったラーメン丼をテーブルの上のきれいな新聞紙の上に置く。そしてテレビを見ながら30分くらいかけて食べる。

食事が終ると食器や包丁などを流し台に運ぶ。新聞紙の上にはけっこうまた食べ屑が散らかっている。そこでさらにもいちばん上の新聞紙で食べ屑を包むようにして折りたたむ。そして傍らのビニール袋に入れる。これでテレビの前のテーブルは綺麗に片付く。いうならば今度はテーブルクロスの役割を立派に果すのである。最初の水をいっぱい含んだ野菜を置いたので新聞紙は濡れてはいるが、それは一向に構わない。次の食事タイムまでには綺麗に乾いているので、そのままにしていておいて大丈夫なのだ。

もうひとつ、新聞紙には大きな効用がある。それは愛用しているキセルを掃除する紙縒り(こより)を作るのにこれに優るものはいまのところないからである。本当は和紙がいいのだが、いまどき和紙など普通の家にはないのではなかろうか。少なくともわが家にはない。わざわざ買う必要はない。新聞紙でほとんど不都合がないからである。私くらいのヘビースモーカーの場合、1日に4~5回はキセルの掃除をしなければならない。紙縒りを作るために新聞紙を適当な幅で切らなければならないのであるが、これが意外に難しい。また同じ幅でなければならないので、ひとつの新聞から2本しかとれないのである(詳しい理由は省略する)。

まあ、このように新聞紙の効用は大きい。このためだけに2紙は確かに必要はないのだが、何事も偏ってはならないので、右の雄たる読売新聞と左の雄たる朝日新聞をとっているのである。もっとも最近では、左の雄たることに引け目でも感じているのだろうか、朝日新聞にも首を傾げたくなるときもある。まあ、朝日新聞が左の雄たる新聞でなくなったら、赤旗でもとればいいだろう。その場合も用途は同じようなものになると思うが……。新聞の効用はこのように大きいのである。でもこんなことだけでいいのだろうか?

それでは、また明日。

  • 07年02月26日 06時00分AM 掲載
  • 分類: 8.マスコミ論

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