政治家とお金
09年03月22日
No.1118
春らしい陽気になってきた。昨日は春うららという陽気であった。早いところの桜は都内でももう咲いている。そんな陽気に誘われて、昨日の仕事が済んだ後、ぷらりと出かけることにした。この永田町徒然草がupdateされる時、何処にいるかは私にも分からない。たぶん何処にいても日曜定番の政治番組を見ているであろう。そして、日曜定番の政治番組は、本質を外したことをもっともらしく議論していることであろうが・・・。
政治が貧困であると国民は苦労する。しかし、政治の貧困には、国民にも責任がある。政治は経済ではないが、良い政治を作るためには国民もある程度は努力しなければならない。私などは長い間多くの支援者に支えられて、それなりの政治家に育って頂いた。支援者の方々が白川勝彦のために支出したお金と手間暇(てまひま)は大変なものである。私もそのことを肝に銘じて、恥しくない政治活動をしてきたつもりである。私などは支援者に恵まれていたと感謝している。同僚の政治家を見ていると必ずしもそうでないところもあるようだ。
政治活動にお金がかかると政治家は言う。しかし、支援者に対して率直に政治活動の資金的支援のお願いをする政治家は少ないようである。多くの有権者は大したお金は出せないが、それなりのお金ならば出しても良いと思っている。その“ころあい”なのである。そして何よりも大切なのは、少し位ならばお金を出しても良いと思わせるだけの政治活動をやっているかという覚悟があるかどうかだ。国民は政治家のためにお金を出すのではない。その政治家の政治活動が自分たちのためになると思うからお金を出してくださるのである。この微妙な違いが重要なのである。
それでは、また。