小沢問題の本質
09年03月10日
No.1106
永田町徒然草は、今日で小沢問題7連発である。書く方も疲れるが、読み方も嫌になるであろう。それでも今日もまた小沢問題をテーマにする。勘違いをされては困る。私はいま暇なのではない。チョー多忙なのだ。昨日も朝から夜10時過ぎまで、休みなしに債務整理の相談者や依頼者と話していた。それなのに……。
それなのに、小沢問題をなぜ毎日書くのか。小沢問題は、情報戦なのだ。自公“合体”政権は小沢問題で国民を民主党から離反させようとしている。現に各種の世論調査の結果をみれば、国民は民主党から離反しはじめている。思った以上の結果が出て、さぞ自公“合体”政権はほくそ笑んでいるであろう。そのほとんどの情報源は、“関係者”と呼ばれる検察からの提供である。マスコミは検察が意図的に漏らす情報を無批判に流している。現在もほとんどのニュースのトップ記事は小沢問題である。マスコミを通じて流される情報量は膨大だ。
小沢問題の本質は、“検察や警察を使って政敵を追い落す”という卑劣な行為である。政治とカネの問題でもなければ、公共事業と政治の癒着でもない。確かに“政治とカネ”の問題は、常日頃大いに論じなければならない。公共事業と政治の癒着の問題も大いに論じなければならない。しかし、それはいま論じなければならないテーマではない。現在は未曾有の経済危機に如何に対処すべきかを論じなければならないのだ。それは政策論を通り越して、政治論・政権論となっている。その最終段階に差しかかた秋(とき)、小沢氏の公設第一秘書逮捕なのである。
繰り返す。小沢問題の本質は、“検察や警察を使って政敵を追い落す”という卑劣な行為なのだ。その例は、わが国の歴史でも沢山あった。現在でも諸外国でそのような卑劣な行為が行われるのを私たちは知っている。平成の御世、このような卑劣な行為が白昼堂々と行われているのである。その行為は何らの権限に基づかず、責任の所在も明らかにされることもなく、連日これでもかこれでもかと行われている。本来その卑劣さを白日の下に明らかにすべき任務がある報道機関が、片棒というより主役を演じているのだ。
この様を見ていると私は小林多喜二が治安維持法の嫌疑で築地警察署で嬲(なぶ)り殺されたを思い出す。良からぬ扇動者によって大衆は時として凶暴になることがある。正義を装った検察とマスコミが疑惑なるものを無批判に流布することにより、大衆は暴徒になりつつある。国民は本当の敵を見失いはじめている。そうならないためには、私たちは真相と真実を宣伝しなければならないのだ。そういう情報戦なのだ。“関係者”じゃないので、私は特別な情報などもっていない。探す気もない。インターネットを通じて物の道理を述べることしかできない。
民主党は野党第一党である。多くの国会議員も抱えている。参議院では第一党である。300の小選挙区のほとんどに衆議院議員候補者も揃えている。ハイカラ好きの民主党であるから、彼らのほとんどがWebサイトをもっている。機関紙、街宣車およびWebサイトなどを使って、小沢問題の本質を訴えていかなくてどうするのだ。私が知っている民主党議員のWebサイトを見てみたが、ほとんどのWebサイトが小沢問題に言及していなかった。民主党のWebサイトでも論陣を張っていない。そんなことでこの情報戦を戦い抜くことができるのか。喝!
今日はこの位のしておこう。それでは、また。