永田町徒然草の任務
09年03月01日
No.1097
先週は、ほぼ毎朝早く自宅を出なければならなかった。私が永田町徒然草を書くのは、起床してからである。前夜の帰宅が遅く、前日の政治の動きをフォローすることができない朝は、“おはよん”をはじめとする各種のニュースをまずみた上で、永田町徒然草のテーマを決めて書き始める。そうすると書き上げてupdateするまでの時間は余りない。
もちろん朝食をとったり、身支度をする時間も必要である。休みにしようかという思う日が度々ある。しかし、いまの政治状況の中で永田町徒然草を休むことはできない。永田町徒然草は、自公“合体”体制の悪行を告発することが第一義的な任務だからである。永田町徒然草を休むことは、その任務を放棄したことと受け取られ兼ねない。意地でも休む訳にはいかないのである。だが、時間がなければ内容が希薄になることはやむを得ない。私の心意気に免じてその点はご寛恕いただきたい。
今日は朝早くからほとんどの日曜定番の政治番組をみた。『時事放談』の塩川正十郎元財務大臣をはじめとして自公“合体”体制側の出演者の言うことは、もう滅茶苦茶であった。自公“合体”体制の思想性と品性の無さを見事に現していた。自公“合体”政権が日を追うごとに厳しい状況に追い込まれているのは、麻生首相の失言や失態だけでないようである。皆んなで自民党をダメにしているのである。末期症状では、こんなことは珍しくない。自公“合体”体制に人物はいなくなってしまったのだ。
「麻生首相の後は誰なのですか」とよく訊かれる。「そんな人は誰もいませんよ」と私は答える。嫌みで言っているのではない。残念ながら自民党の危機を救える人物など、もういないのである。自公“合体”体制はそういう人物を全部殺してきたのである。自民党とはそれなりに大きな集団である。大きな集団だから誰かいるだろうと考えるのは愚かである。人間集団の命運は、リーダーによって決まる。歴史を振り返れば、そのことは明らかであろう。同じことは民主党にも言える。日本という国についても言える。永田町徒然草の第二義的な任務は、この点にならざるを得ないであろう。
それでは、また。