とぼけた話
09年02月28日
No.1096
昨日は終日寒かった。昨夜は元村山富市総理大臣を囲む会があった。みぞれ交じりの雨が降る中、久しぶりに赤坂の料理屋に行った。そこに行く道中に聴いたラジオニュースは、「武部元自民党幹事長は“麻生首相では選挙は戦えない”と述べた」と伝えていた。だからどうしようというのか、その部分はよく聞き取れなかった。夜遅く自宅に帰りasahi.comを開いたところ、次のような記事があった。
自民若手議員が新グループ
「麻生、でなく非麻生で」自民党の若手の衆院議員が「自民党を刷新し日本を再生する会(仮称)」を立ち上げ、3月4日に初会合を開く。中堅・若手の「速やかな政策実現を求める有志議員の会」が「反麻生色」が強まって機能停止に陥るなか、「非麻生」に衣替えして求心力を回復させ、「ポスト麻生」候補の擁立につなげる狙いもありそうだ。
茂木敏充前行革相をアドバイザーとし、菅原一秀(無派閥)、小野寺五典(古賀派)両副幹事長が共同代表に就く。メンバーの多くは「速やか議連」にも籍を置くが、反麻生を打ち出す塩崎恭久元官房長官らは入っていない。
26日夜に東京都内の中華料理店に集まり、会合や合宿を重ねて経済や社会保障、エネルギー分野などで政策提言をする方針を決めた。メンバーの一人は「『反麻生』ではなく『非麻生』でまとまっていきたい」と話している。
<2009年2月28日6時51分>
どちらのニュースも、とぼけた話だ。この前も述べたが、“自民党が選挙を戦えない”などということは国民にとってどうでもよい話だ。自民党の若手議員が“自民党を刷新し日本を再生”させるといっても、そんなことは誰も信じない。“自民党を刷新”することなど、自民党にとっては重要なことかもしれないが、国民にとってはどうでもよい話だ。
だいいち“自民党の刷新”というスローガンは時代錯誤である。維新とか刷新は、特定の政治勢力がよく使う言葉である。刷新とは、表紙の顔を代えることではないだろう。さらにいえば、再生とは正確にいえば“いったん死んだものが生き返る”場合に使う言葉なのだろう。確かに自民党は死んでしまった。国民は自民党などもう死んだと思っている。多くの国民は自民党が生き返ることなど望んでいない。
麻生首相は死んだ自民党の脱殻にすぎない。生ける屍だ。昆虫の脱殻は、カラッとしていて気持ちよく落ちる。こちらの脱殻は往生際が悪い。自民党は自民党で“四番煎じ”を真剣に考えている。“四番煎じ”のお茶など誰も飲まないと思うのだが、自民党は国民など騙されると本気で考えている。マスコミなどがこの悪企みに現に加担している。嗚呼…。
それでは、また。