自公“合体”政権のおかしな言い分
09年02月23日
No.1091
昨日の日曜定番の政治番組では、当然のことながら“ポスト麻生”の話題があちらこちらで出ていた。“四番煎じ”の話だ。それはそれでよいのだが、なぜかポスト麻生を語る者の腰が据わっていない。その言い分もおかしい。これらの問題を論じることは、大切だと思う。政治の本質を考えることに通じる。
まず最初に言いたいことは、“麻生首相では選挙を戦えない”という主張である。自民党や公明党にとっては重大事であろうが、政治の根本から言えばそんなことは小事に過ぎない。国家にとって必要な時は、いつでも解散総選挙を行わなければならない。どの政党もいつでも解散総選挙の洗礼を受ける体勢を整えていなければならない。
解散総選挙に耐えられないような体勢の政党は、その政党の力そのものなのだ。野党はいつあるか分からない解散総選挙に絶えず体勢を整えていなければならないのだ。解散総選挙を決断するのは、総理大臣である。与党である。解散総選挙に耐えられない与党が、現実に政権を運営していることそれ自体が国家にとって悲劇なのだ。国家の損失なのだ。自公“合体”政権はこのことが全然分かっていないのだ。
次に指摘をしなければならないのは、経済が大変な時であるから平成21年度予算をなにがなんでも成立させなければならないと話である。予算を通すことこそ最大の景気対策だという。この点については、昨日の永田町徒然草で述べたところだ。麻生首相は“景気は気から”とよく言ってきた。その通りなのだ。国民の支持と信頼を失ってしまった麻生内閣が“百年に一度の危機”に対する緊急対策だといくら言っても、政策的効果など期待できる筈がない。これは民主体制における政治の本質に関わることである。自由主義体制における政治ではそのことが特に求められる。
<つづく>