政権構想という甘い囁き(その2)
09年01月08日
No.1045
昨日の続きである。政権構想という甘い囁(ささや)きは、政治家の心をときめかせるものである。政権構想とは神ならぬ政治家に、神としての予言や約束を許すものであるから心ときめかない筈がない。神ならぬ者が神となったとき、転落が始まる。ジュリアス・シーザーはローマ市民から敬愛されていた護民官だった。シーザーが独裁者になったときから転落が始まり、最後は暗殺された。「ブルータス、お前もか」は、親しい友人・ブルータスからも嫌われていたを示しているのではないか。
「国民の生活が第一」などということは、決して壮大でもなければ格好良いキャッチフレーズではない。「熱い魂(ロマン) 汗する知性」という方がはるかに格好良い。このキャッチフレーズは気持ちは分かるが、具体的な内実がない。この“魂(ロマン)と知性”に基づいて具体的構想を述べたときから批判に晒された。「国民の生活が第一」は地味で素朴で決して格好良くはないが、批判に晒される危険性はほとんどない。
ちなみに「熱い魂(ロマン) 汗する知性」は、私が1979年新潟県4区(現6区)から衆議院議員に初当選した時のキャッチフレーズである。ロマンは括弧書きではなく、魂にルビとして付ける。
ガソリン税の暫定税率など1リットル当たり25円という問題である。最近はガソリン価格が低くなっているので大衆受けしないかもしれないが、1リットルのガソリンが85円(110-25)になることは、国民生活にとって大きい。ビッグニュースである。自動車に頼らざるを得ない地方の人々にとっては朗報であるし、本当に助かる筈である。道路族の議員と国交省の官僚は困るだろうが…。
“法の庭”徒然草No.29「過ちを改めるに憚ること勿れ」で述べた裁判員制度などもこの類の話である。裁判官は国民の代表として裁判に従事している国家公務員である。その裁判官が批判に堪え得る裁判をしていないので、国民に手伝ってもらいたいというのが裁判員制度である。現在の刑事裁判の問題は、裁判官が検察官のいうことに批判を加えようとしないことなのである。だから警察と検察は横暴になってしまう。これをチェックする気がないことが問題なのであり、裁判官が本来の任務を果たすことが必要なのである。
政治主導の行政というが、行政とは法律に則り行政官が行うものである。政治主導の行政とはいったい何か。政治家主導という意味なのか。政治家はスタンドプレーが好きである。それでは行政の安定性が損なわれる。政治家主導でない政治主導とはいったい何なのか。ひょっとするとそれは政党主導ということか。それはかつての社会主義国でよく見られたことではないのか。行政官は行政に専念すればよいのである。行政官は法律に忠実な行政を行うことが任務なのである。忠実に執行しても好い立派な法律を作ることが、立法府の議員たる政治家の任務ではないのか。
いちいち挙げればきりがない。だからそれを一挙に解決できる魔法の杖が欲しくなる。“魔法の杖となる政権構想”を求めたがる理由はここにある。だがそれは虚しい試みであろう。あえて一言でいうとすれば、「興一利不若除一害」に尽きるのではないか。「一利を興すは、一害を除くに若(し)かず」ということだ。煎じ詰めれば、「一害を除く」ということだ。具体的にいえば、自公“合体”政権が行ってきた“害を除く”ことである。一害だけでは済まないだろうが、五害も確実に除いてくれればそれで十分である。「国民の生活が第一」という観点から…。
それでは、また。