自民党の創価学会化
07年01月21日
No.312
「創価学会党」の論拠を示す必要が
(永田町徒然草No.311からつづく)「自民党はいちおう天下の公党である。しかも政権党である。いや正確には政権党のひとつである。残念ながらワンランク格下げである。私たちがかつて「自民党は政権党である」というときには誇りと気概と責任をもってこの言葉を使っていた。いまの自民党諸公にはこのような気概や迫力で発言や行動している気迫を感じることができない。
しかし、自民党はいやしくも(本当に卑しい党になったが……これはもちろん韻を踏んでの表現である)政権党のひとつであることに変わりはない。その自民党を「やはり創価学会党となった」というには、それなりの論証が必要であろう。もちろんこのことを論証するには与えられた枚数は少なかったし、巻頭言にはふさわしくない。だから頼まれた原稿は自民党の性質や運営のメカニズムというところに重点をおいて書いたのだ。
従ってタイトルとしては「大株主を得た幸せな社長 小泉・安倍首相」くらいがいいところかぁーとないかと思っている。私がこのようなタイトルを付けてさえおけば、私はこれからの論文を書かなくてよかったであろう。しかし、賽は投げられたのだ。
年末乙骨氏と忘年会で会う機会があった。そこで私は以上のことをいって同氏を軽くなじった。乙骨氏曰く、
「白川先生からいただいた原稿に中途半端なタイトルを付けてはかえって失礼なことになる。原稿の中に『自民党はやはり創価学会党となった』とありましたから、私がこう付けました」
このこのこと自体に私は何の不平や不満はない。しかし、やはり天下の自民党を創価学会党という以上、これにはもう少し論拠を示さなければならない。乙骨氏に本誌でもう少し紙面を与えるようにいった。同氏がこれに同意したことはもちろんである。こうしてこの連載は始まることとなった。
変質してしまった自民党
衆議院の3分の2を超える化け物のような自公連立政権がいまわが国を支配している。そして戦後60年余の伝統的な政治的価値観からいえばハッキリいって悪政といえるひどい政治をやっている。暴政といってもいい局面も数多くある。
長い間一党で政権を担ってきた自民党は、それなりに国民世論を反映せざると得ないメカニズムをそのなかにもっていた。それは件の巻頭言で書いたとおりである。しかし、そんな自民党はいまや存在しない。公明党との連立によって自民党は完全に変質してしまった。そこにわが国の政治がおかしくなった原因があるのである。
創価学会・公明党が自民党候補を選挙で応援するようになって、野党がなかなか勝てないようになったために最近では自公連立問題にする人たちが増えてきた。しかし、本質はそんな問題ではないのだ。自民党候補に創価学会・公明党がつくことにより、プラスもあればマイナスもある。それは戦い方の問題である。平成8年の小選挙区制の下で初めて行われた総選挙では、自民党はこの点を徹底的に攻撃することにより勝つことができた。
そのとき『諸君』に掲載された政治評論家俵孝太郎氏の新・新党は「創価学会党」であるという論文は、自民党にとっても小選挙区で厳しい戦いを余儀なくされていた自民党候補にとってもバイブル的論文であった。この論文はわが国の政治史に残るいくつかの優れた政治評論のひとつである。現在にも通ずる鋭い指摘が数多くある。
俵氏と一緒になって憲法論から政教分離を主張した私には、自公連立政権の問題点とりわけ自民党の創価学会化を指摘しなければならない責任がある。本来は自民党の問題であるが、政権の大部分を占める政党の問題であるから日本の政治の問題でもある。
日本の政治を動かした俵氏の名論文に匹敵するものを書く自信はもちろん私にはないが、自民党を愛しその改革のために命を懸けて戦ってきた者として、その経験をふまえれば何がしかの参考になるものは書けると思っている。私にそのような物をものせよという深慮遠謀が本誌発行人である乙骨氏にはあったのかもしれない。深慮遠謀であるから冒頭「謀略(!?)」といったことはお許しいただきたい。以上をもってこれから論ずるテーマの序とする。 (序の項のおわり)」