平成20年おおつごもり
08年12月31日
No.1037
平成20年の大晦日(おおみそか)である。大晦日は大晦(おおつごもり)ともいう。私は“おおつごもり”という言い方が好きだ。365日(おっと今年は366日だった)を生き抜くことはそれなりに大変である。万事がうまくはいかない。その最後の日だから“おおつごもり”といいたいのだ…。
この1年も何とか永田町徒然草を書き続けることができた。最後になって不具合と不注意が重なってしまい、お粗末なところをお見せしてしまった。おおつごもりくらいは、まともなものを書かなければならない。実は先ほどまでNHKのBS放送で『昭和の歌姫・美空ひばり』を観ていたところだ。3時間半、私は真面目にこれを観た。今も余韻でいささか昂ぶっている。
美空ひばりとは同世代でもない。彼女が生きていた時、私はファンでも何でもなかった。むしろ嫌いな方であった。10年ほど前から私は美空ひばりの熱烈なファンになった。理由は単純だ。美空ひばりは歌が上手い。ひばりは歌うことにひたむきであった。彼女は歌うことに命を懸けてきた。もちろん才能もあった。天才だという人もいる。美空ひばりにも不遇の時があった。マスコミから干された時もあった。しかし、美空ひばりは挫けなかった。自分の力を信じてひたむきに歌い続けてきた。そこが好きなのである。何十曲も披露されたが、最後はやはり『川の流れのように』でなければならないと私は思った。番組もそうなった。
閑話休題。政権交代を実現するためには、美空ひばりのような政治家が出現しなければならない。ひたむきさがまず必要である。妥協をゆるさない必死さも必要である。大衆性も必要である。美空ひばりは名曲にも恵まれたが、全部が全部必ずしも名曲ではなかった。しかし、美空ひばりは努力と才能で名曲にしてしまったのである。政権交代という大事業を成し遂げるためには、ヒーローが生まれなければならない。せっかく好機が到来しているのに、野党陣営にヒーローが生まれていないようである。努力と才能がいささか欠如しているのではないか。政治の才能は天与のものではない。努力によって培われるものである。
2008年という年は…
新しい年がきた。新しい年は国民が自らを幸せにするため、その力を手にする歳にしなければならない。それは魔法の力などではない。権力という本来国民がもっている力である。自公“合体”体制が簒奪してきた権力は、多くの国民を不幸にした。幸いにしていま富をもつ者も、多くの同胞が貧困と悲嘆のどん底で喘いでいるのでは本当に幸せにはなれない。日本国民は、他人の不幸の上に己の幸せを築くことを潔しとしない。日本国民は、祖国愛と連帯を大切にする民族である。
国民が自らの幸せを摑むために、国家の権力をその手にすることはわが国ではこれまでになかったことである。政権交代は、ひとつの“革命”である。“革命”を成功させるためにはまず愛情が必要である。その愛は、不幸にしていま貧困と悲嘆のどん底で喘いでいる人々に向けられるものでなければならない。情熱も要る。その熱は、破廉恥にして強欲な政党と官僚組織と創価学会を焼き尽く激しいものでなければならない。気高い使命感も必要である。私たちが手にしている人権や民主主義は、多くの先覚者や民衆の命によって贖われてきたものである。私たちは、その命に思いをいたしながら決然と戦う勇気をもたなければならない。
新しい年は、国民が権力を己の手に摑む歳である。年々歳々、月日は巡り来るが、今年は特別の年にしなければならない。国民がちょっと力を合わせて戦えば特別の歳にできるのである。私の魂は昂ぶる。多くの国民の魂も昂ぶっている。この永田町徒然草は、その魂と魂を繋ぎ共鳴させるものである。
以上は永田町徒然草No.663「国民が力をその手にする年」からの引用である。残念ながら未だわが国の権力は、自公“合体”体制に簒奪されている。「多くの同胞が貧困と悲嘆のどん底で喘いでいる」様(さま)は、この1年間で一層ひどくなった。「破廉恥にして強欲な政党と官僚組織と創価学会」は、2008年4月30日衆議院における再可決で白昼堂々30兆円を強奪した。創価学会に唆(そそのか)されて、今度は“2兆円のばら撒き”をしようとしている。“革命”が行われなければ、国民は救われない。
“革命”とは、中国の古典「易経」にある言葉で、「天命が革(あらた)まること。すなわち、天命をうけた有徳者が暴君に代って天子となること」をいう(広辞苑)。自公“合体”政権は立派に暴君ではないか。これに代わる有徳者には、貧困と悲嘆のどん底で喘いでいる人々に対する愛情がなければならない。破廉恥にして強欲な政党と官僚組織と創価学会を焼き尽す激しい情熱がなければならない。気高い使命感も必要である。
民主党をはじめとする野党は未だ立派な有徳者に育っていないのではないか。最大の問題はここにある。これが平成20年“おおつごもり”の率直な現状なのではないか。政治家は時代の子でなければならない。時代はヒーローを求めている。これからの永田町徒然草は、革命に値する有徳者についても論じなければならない。
それでは、良いお年を!