消費税引き上げ!?
08年12月17日
No.1023
最近の永田町の動きを見たり、論じたりすることに私は虚しささえ感じ始めている。要するにどうでもよいことばかりだからである。麻生首相や自公"合体"体制の幹部はどうでもよいことをさも重要であるかのように演じているが、彼らはそんなことを語る資格すらないのである。
朝のニュースを見ていたら「自公“合体”政権が3年後に消費税の税率を引き上げると明記した」という。どこでそのようなことを決めたのか分からないが、そんなことを自公“合体”政権が決めたからといってどういう意味があるのだろうか。消費税率を何%上げるといったのか知らないが、3年後にどうなっているかも判らない政権が消費税を引き上げるとは笑わせる。おこがましい。たぶん財務省が消費税率を上げたいので、死期間近な自公“合体”政権にそう言わせておこうと思ったのだろう。
財務省の役人という輩は実に嫌らしい。僭越である。尊大である。彼らは日本の財政を自分たちが行っていると自負しているようだが、彼らにはそんな見識も実績も資格もない。財務省の役人は、いまや会計課の職員みたいなものである。政治家が決めた税金の範囲で誤魔化しをせずに忠実に国家予算を執行すればそれでよいのである。それ以上のことを彼らに期待するのは無理だし、そんな力はない。かつての大蔵省の栄光と実績を嵩(かさ)にきて、偉そうに振舞っているだけなのである。
「とにかく日本でいちばん頭の良いのは大蔵省の役人であり、彼らの言う通りにしていれば間違いない」と信じていたのは小泉首相であった。小泉首相は頭のテッペンから爪先まで大蔵族だった。小泉首相ほどあからさまではないが、そういう首相や政治家は意外に多かったのである。いやほとんどの政治家がそんなものである。野党の政治家にも意外にそう考えている者は多い。だから財源がないならば消費税を引き上げるしかと主張するのである。そういう主張に引っ掛かってしまうのである。
予算のシュミレーションなど算数の問題である。消費税を何%引き上げれば、国家予算のシュミレーションがどうなるかも算数の問題である。しかし、消費税を数%引き上げるというのは、すぐれて政治問題である。凄まじいエネルギーと犠牲を伴う政治問題なのである。私は3%の消費税導入と2%アップを現実に行った政権のど真ん中にいた。いずれも決めたのは政治家だったし、犠牲を払ったのも政治家だった。大蔵省の役人は後ろで囃(はや)したて、その成果を貪っただけである。今日の日本の惨状を作った責任の多くは、彼らもにあるのである。
要するに政治の大事なことは、政治家が命懸けで決めるしかないのだし、政治家の責任とはそういうものである。その結果、己の運命がどうなるかなど政治家は考えてならないし、予測は簡単にできるものではない。国家と民族と国民のためになると己が確信して前に進むだけなのである。栄光など求めてはならない。今日のような政治情勢になると、国家だとか国益だとか民族だという実体のない概念で蠢(うごめ)く政治家が出てくるものである。しかし、そのような輩は国家や民族の利益ではなく、己の利益のために動いていることが多い。騙されてはならない。
それでは、また。