NHKについての雑感
07年01月18日
No.309
菅総務大臣がNHKの受信料の2割程度の引き下げと引きかえにその義務化を打ち出した。念のために総務省のWebサイトを観てみた。情報通信審議会に提出した「通信・放送分野の改革に関する工程プログラムと進捗状況」という資料の中に「NHKの改革」という項目がある。その中で受信料の義務化が謳われ「・所要の法案を次期通常国会に向け検討を行い、来春に結論 ・法案成立後に実施」とある。要するに前から役人が決めていたものを実施する時が来たというに過ぎない。何しろ衆議院の3分の2をもっているのだから、どうってことはないと考えているのだろう。
私は長い間自民党で郵政関係の政策を担当してきたので、NHKの受信料には特別の思いがある。受信料の義務化ということも長い間いわれ続けられたことである。しかし、受信料の義務化を打ち出した大臣はいなかった。そもそも現在NHKの受信料は義務化されていないとでも考えているのだろうか。大多数の国民が義務はないが喜んで払っているとでも思っているのだろうか。多くの国民が受信料を払っているのは、支払の義務があると思うから支払っているのである。これをさらにどのように義務化しようというのか、その詳細は総務省のWebサイトをみてもよく分らない。そのうち明らかになるだろう。
法的義務とは、NHKの放送を見れるテレビをもっている者が受信料を支払わない場合、これを無理やり(最後は強制執行してでも)取るということである。現在だってこれができない訳ではない。裁判所の判決を受ければ可能なのである。裁判所はテレビ受像機を持っている国民に対して支払い義務を認める判決をほとんど出すであろう。総務省の考えていることは、そんなことをしなくても強制執行できるようにしたいということなのだろう。要するに税金の未納と同じようにしたいのだ。でも、そんなようにすることがNHKの改革になると本気で思っているのだろうか。この辺に小泉改革の馬鹿らしさがある。
小泉改革は民間でできることは民間にやらせるというのがお題目ではなかったか。結論からいって受信料で支えられるNHKがなくても、いまやわが国の放送は成り立つであろう。国民が困ったことにもならないだろう。そうであるならばNHKの受信料を国民が払いたくないのに税金のように無理やり取り立てることができるようにするなんてことが、「改革」などと呼べないことは明らかであろう。
NHKの受信料などという極めて法的に曖昧なものが長い間もってきた方が不思議と私は思ってきた。わが国の国民性もあろう。民放がまだまだ未成熟だったので、受信料を払ってでもNHKのような放送局があってほしいと考える国民がいたことも事実である。私は郵政省の役人やNHKの幹部にいつまでも受信料制度が続くなどと考えてはならないといつもいっていた。この考えはいまでも変わっていない。民放もかつてに比べれば成長してきた。いちばん公共放送性が問われ、その真価が評価されるのはニュースや報道番組である。私はニュースや報道番組についてもすでにNHKは民放に追い越されたのではないかと感じている。こんなお粗末な現状で受信料を払ってでもNHKが必要と思う人が増えるとはとうてい思われない。
NHKの受信料を払わない人が増える根本原因は、ここにある。不祥事があったことなど、そのキッカケに過ぎない。民放が成長すればするほど、NHKの放送の水準は高くなる。その水準をクリアできなければ、NHK不要論が出てくるのはやむを得ない。国民の期待に応えられないNHKを税金のように取り立てる受信料で存続させる必要が本当にあるのだろうか。受信料が義務化されればこういう意見はさらに強まる筈である。きわめて曖昧な性格の受信料のようなもので運営されているNHKがあるのは、世界では例外の中の例外なのである。これはNHKの努力と国民の理解があってはじめて成立した結果であり奇跡なのだ。奇跡的な原因で存続してきたNHKを権力で無理やり守ろうとすれば、それは必ずおかしなものになる。民衆のものは、民衆の力に委ねた方がいい。民衆に見放された放送局は滅ぶしかない。それがNHKであろうが民放であろうが……。
それでは、また。