一般財源化は、財務省の“悲願”
08年03月28日
No. 753
一国の最高指導者がわざわざ緊急の記者会見をしたのである。しかし、私が昨日永田町徒然草を“緊急”にupdateして指摘していたように、結局は何も起こらなかった。それはそうだろう。具体的状況を具体的に分析して不退転の決意で出した物でなければ、政治的効果を上げることなど決してできない。福田首相はこの政治の要諦がぜんぜん分っていないのだ。自公“合体”体制も分かっていないようである。この体制にはたして司令塔があるのだろうか…?
天魔、餓鬼、畜生・・・・?
何が起きても部外者のような口ぶりで無内容なことしか言わない。福田首相を国民はとうに見放している。福田首相という存在そのものが、(政治的)末世の象徴なのである。そうすると福田首相を生み出した存在に着目しなければならない。
福田首相を生み出したのは、自公“合体”体制である。従って、諸悪の根源は、自公“合体”体制ということなる。もちろんそれでよいのだが、自公“合体”体制は、責任の所在がハッキリしていない存在である。このことは連立政権のマイナス面として学者が指摘していることである。自公“合体”政権となるとマイナス面は倍加する。「一つであって二つ、二つであって一つ」だからだ。自公“合体”体制こそ、現代の末世における奇怪(きっかい)な政治的存在である。仏教の世界では、これを何と呼ぶのであろうか。天魔、餓鬼、畜生…?。
最近ある雑誌に投稿した私の文章からの抜粋である。発行前であるから全文を紹介できないことを理解してほしい。連立政権のマイナス面として、「責任の所在がハッキリしない。無責任に流れる惧れがある」ことは多くの学者が指摘しているところである。ところが自民党と公明党の連立の大義名分とされた“参議院での過半数確保”という現実がなくなったにもかかわらず、自民党と公明党の連立は存続されている。公明党が果たしている役割は、憲法59条2項の再可決で自民党のゴリ押しする可能にすることなのだ。
それにしても自民党と公明党の連立は“普通の連立”ではない。“特殊な連立”である。「一つであって二つ、二つであって一つ」なのだ。だから私は自公“合体”政権と呼んでいるのである。特殊な連立である自公“合体”政権のマイナス面は、普通の連立よりマイナス点が倍加している。責任の所在がハッキリしていないなんてものじゃない。そもそも誰が司令塔なのか一向に分らない。最近ある自民党の代議士と話をする機会があった。その代議士も「誰が司令塔なのかさっぱり分らない」といっていた。自民党ではかなり有名な人である。
昨日の記者会見を聴いていても、福田首相は肝腎なことをまったく知らないようである。総理大臣の振りをすることに汲々としていた。哀れでさえあった。いったい誰が記者会見しようといいだしたのか。司令塔はいったい誰なのだろうか? はたしてそんな人物はいるのだろうか。漁船と衝突事故を起こしたイージス艦「あたご」の運航状態と同じではないか。ところでこっちの方の責任はどうなったのか。事務的な処分は行われたようであるが、あくまでも事務的な処分にしか受け取れない。このような重大事故の場合、ハッキリした政治的処分がやはり必要なのだ。
政治の肝腎なことが分らない福田康夫船長が運航する日本丸は危険である。周りの艦船に衝突する危険性である。自民党丸に乗っている人たちにとっても本当は危険なのである。選挙になれば、国会議員といえども単騎(単舟?)で荒波を乗り越えなければならないのだ。道路官僚や財務官僚など、選挙の手助けなど何もしてくれない。そんな官僚たちのために自民党の国会議員を荒海に放り出そうというのだから、自民党のリーダーとしても不適格なのだ。それでもついて行こうというのであれば、それは仕方がない。“どうぞご自由に”というだけである。
国民も自らの命運は、自らの叡知と力で切り拓かなければならない。叡知には、まやかしの論議・為にする議論を見抜く力も含まれる。道路特定財源の一般財源化の問題点(ハッキリいって“まやかし”)をしっかりと把握しておかないと、福田首相(実は財務省)のまやかしに引っ掛かってしまう。道路特定財源の一般財源化は、財務省にとって“願ったり叶ったり”なのである。このことに思いをいたせば、道路特定財源の一般財源化の問題点を理解することは、そんなに難しいことではないと思うのだが・・・・。まぁ、それはこれから勉強すればよいことだ。いまは“暫定税率一本槍”で突きまくることである。
それでは、また。