穢れた権力!?
08年02月04日
No.698
今日は立春である。しかし、今日は寒いという。だいたい立秋とか立春などといっても、実際の季節感としてピンとこないことがほとんどである。これは気候変動のせいではないと思う。太陽暦と太陰暦(月の満ち欠けを基準にして作られている暦法。陰暦ともいう)の違いによるものなのだろう。また立春とか啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の名称である。
二十四節気の名称は、発明された当時のものがほぼそのまま使われており、当時の文明の中心であった黄河の中・下流域の気候を反映している。日本よりも寒冷で大陸的な気候の地で生まれたものであるため、日本の気候とは一部ずれがあるのだという。これらは急ごしらえの知識であるから、あまり信用しないほうがよい。しかし、これから冬に向かう訳ではない。だから当然のこととして寒い日もあるが、暖かい日もある。三寒四温という言葉を聞いたことがあると思う。かつて日韓議連の関係で韓国によく行った時、3日は寒いが4日は温かい日が続く時期を指す言葉だと聴いた。たしか今頃から、三寒四温の季節が始まるのだと思う。
それにしても昨夜ニュースを観ていたら、民主党の小沢代表が「現在の政権は“穢れた権力”なので、体制内の改革はできない。政権交代をしなければ本当の改革はできない。それを決めるのは国民である。」といっていた。私が観たニュースはNHKであった。スーパーでは“汚(けが)れた権力”となっていたが、常用漢字の都合もあるのだろうが、私は“穢(けが)れた権力”とした方が良いのではないかと思う。この永田町徒然草を書いている時点では、まだ朝刊がきていないので何処のどういう場での演説なのか、また正確な言い回しも判らない。
しかし、そんなことは大した問題ではない。自公“合体”政権を“穢れた権力”とはよくぞ言ってくれたものである。そう、自公“合体”政権は“穢れて”いるのだ。私は自民党の中に長くおり、その変節の過程を目の当たりにみていたので、小沢氏が“穢れた権力”というのがよく理解できる。私が自民党や自民党の政治家を“穢れている”と感じたのは、自民党が公明党との連立に傾斜して行く中で、人間として信じられない醜態を嫌というほど見せ付けられたからである。私は自分が高潔な人間などと自惚れていない。しかし、私はどうしても彼らのように卑しくなることができなかっただけのことである。
政党にとって大事なものを忘れた自民党や政治家として大切な矜持を失った者が行うことはだいたい決まっている。無原則かつ無思想な所業である。そのことはこの1年有余、一つひとつ具体的に指摘し批判してきた。しかし、自民党には何の反応もなかった。自民党の中には長く付き合ってきた友人が大勢いるが、彼らはもうどうにもならないのである。小沢氏が「体制内の改革を期待することはできない」といっているのはその通りなのである。私は彼らが奮起することに一縷の期待をもっているが、当てにはしていない。
“穢れた権力”は、国民を必ず不幸にする。ガソリン税の暫定税率をめぐる問題をみれば、そのことは明らかであろう。国民もそろそろ気が付かなければならない。かつて総選挙の洗礼を受けることを、自民党は“禊(みそぎ)”を受けるといったものである。それは自らが穢れていることを自覚している場合に使う言葉である。自公“合体”政権には、自らが穢れているという自覚がない。自公“合体”政権を権力の座から放擲する以外に、“禊”をする方法はない。日本全体に“穢れた権力”の毒が回るのを防ぐ方法も、政権交代しかない。
“穢れた権力”!! 小沢氏は、よくぞ言ってくれたものである。
それでは、また。