浅ましさとおぞましさ
07年08月21日
No.525
昨夜はかなり寝苦しかった。しかし、今朝窓から入る少し涼しい風で目が覚めた。8月も下旬になった。相変わらず暑い日が続いているが、間違いなく日一日と秋に向かっている。暑い暑いとくどいてみたところで仕方ない。まあ、このようなことに想いを馳せて頑張ろう。それにしても少しの反省も進歩もなく、居座ろうという安倍首相と自公“合体”政権の存在である。これが鬱陶しさを増している。
わが国の政治は、現在完全に機能不全に陥っている。それは世界同時株安に対する措置などをみても明らかであろう。アメリカは公定歩合を直ちに下げた。その結果、かなりの効果が出た。政権は少しの間も停滞することは許されないのだ。だが、わが国の政治は完全に停滞している。国民の信頼を失い、求心力もない安倍首相が続投をするというのだから当然であろう。少し政治らしい動きがあるとすれば、党内閣の改造人事の話題だけである。自民党や公明党はそんなものは虚しい仇花に過ぎないということに想いが及ばないようである。哀れなものである。
政治が緊張感をもって現実に立ち向かっていないと何が起こるのだろうか。まず政治に対する信頼が失われる。もうひとつは、官僚政治の跋扈である。無責任で尊大な官僚機構をコントロールすることに政治の責任がある。だが自民党や公明党の改造人事への動きはこんなことには一切関心がないようである。自分たちの生き残りに汲々としている。浅ましく、おぞましい限りである。その代表が安倍首相なのだから、どうしようもない。アジア・インドを歴訪中の安倍首相が振り出している手形は虚しい。安倍首相に多くの経済人が同行しているが、この人たちも浅ましく、おぞましい。
自公“合体”政権がなぜ参議院選挙に敗れたのか。それは現実への対処能力がないことだと年金問題や事務所費問題が起こる度に私は具体的に指摘した。現実に対する対処能力がないということは、政権党としての資格がないことだと私は主張した。自公“合体”政権は“反省すべき点は素直に反省する”といっているが、いちばん肝心なところが分かっていない・間違っているのだからどうにもならない。国民としてはどうでもよいことに惑わされてはならない。自公“合体”政権の浅ましさ・おぞましさを見抜いていかなければならない。
それでは、また明日。